本田宗一郎さんに学ぶ

「バカヤロー、2位もビリも同じだ
2012/8/29 7:00日本経済新聞 電子版(元ホンダ社長 福井威夫氏の経営者ブログより)

創業者、本田宗一郎さんと濃密な時間を過ごすようになるのはだいぶ後になる。1982年、37歳でホンダの二輪車レース活動を担うグループ会社「ホンダ・レーシング(HRC)」に異動してからのことだ。
忘れもしない1985年の二輪車ロードレース「ワールドグランプリ(WGP)」。前年にホンダのチームは500ccのクラスで優勝を逃し、 タイトルの奪還が至上命題だった。WGPは全12戦。南アフリカで開催された第1戦はマシンの開発が間に合わず、2位に終わったが、敗因を分析したとこ ろ、対策を打ちさえすれば、シーズンを戦えるメドが立ち、タイトルを獲得する確信を持った。
帰国して、タイトル奪還は安心して下さいと伝えようと、「結果は2位でしたが・・」と本田さんに切り出すと、割れんばかりの声が耳をつんざいた。
「バカヤロー、2位もビリも同じだ」
2位とビリは同じでないだろうと言い返したい気持ちを飲み込み、たっぷり1時間怒られた。帰り際に本田さんはあれをやってみろ、これをやってみろと提案していった。その1つにピストンの新作があった。提案されたのは金曜日。週が明けた月曜日に本田さんから電話がかかってきた。
 「できたか」
 「はい、やっています」
 答えるやいなや受話器から怒鳴り声が飛んできた。
 「やっていますとは何事か。俺が一生懸命に提案しているのに、まだできてないのか」
 ピストンを作るのに通常なら1カ月かけてテストを繰り返す。土日の2日間でできるわけがない。
 「明日行くから用意しておけ」
我々技術陣は一泡吹かせようと、夜通し開発にいそしんだ。翌朝、待っていましたとばかりにやってきた本田さんに一晩の成果を説明したが、まだ足りないと映ったのだろう。結局、その日、我々は夕方までずっと怒られた。
当時、本田さんは80歳近くで、社長から最高顧問に退いて10年近くがたっていた。社会的に見れば、ホンダという大きな会社の創業者で、雲の上の存在であってもおかしくないが、目線は昔と変わらず現場の技術者と同じだった。幾つになっても侃々諤々議論するのが好きな“技術屋”であり(下線XAMA)、クルマ作りに対する情熱に満ちあふれていた。怒られるたびに、落ち込むどころか、その熱い思いに負けてはいられないと現場の士気も高まった。
結局、その年のWGPは500ccクラスと250ccクラスのダブルタイトルを獲得した。スペインで開催された第2戦の500ccクラスでぶっちぎりの勝利を収めた後、本田さんから、菓子折りとともに手紙が送られてきた。封を開けると書かれていたのは、思いのほか「頑張ってくれ。期待しています」というねぎらいの言葉。今でも大切に保管してある。


 本田宗一郎さんさんのように部下を真剣に叱りつけるような指導者がいなくなり世の中は大甘になった。
 大社長と日本中の名声を得た本田さんが80歳になってもまだ、「1位でなかった」と37歳の若者に本気で怒る。それも1時間にもわたって・・・というのがスゴイ。それを「2位とビリは同じでないだろうと言い返したい気持ちを飲み込み」じっと黙って甘受する若者も偉い。何か決定的なことを主張すれば、大なり小なり矛盾を含むものだ。「2位とビリは同じでないだろう」というのは全くその通りだ。しかし、本田さんが言うことはそれを一歩超えている。この若者はそれが判っているから1時間でも黙って肯定的に聞く。しかし、一方的に抑え込まれてはいない。「我々技術陣は一泡吹かせようと、夜通し開発にいそしんだ」。だからホンダはここまで立派になった。

 今の日本は政治家でも社長でも先生でも、リーダーがちょっと何か言えば、どうでもいい小さな矛盾を黙って甘受することができない。自分の未熟さを棚に上げて、極めて小さな観点から反対する。学級崩壊はそのいい例である。何でも無難に収めて「お手手つないでゴールイン」みたいな馬鹿なことをやっているから、一方では救いようもない陰惨ないじめが横行する。多少の軋轢があっても、「これは絶対間違っていない」という信念の元にものごとをおし進めて行かなければならないのに、先日も昨日も「何にも決められない政治」をまざまざと見せつけられた。

 民主党は「2030年には原発ゼロ」に向かって進んでいるように見えた。それが先日、閣議決定せず参考文献程度にとどめるという。元より、私は原発賛成でも反対でもない。決めかねているというのが正直なところだ。文句を言いたいのは、これではお手手つないで無難なことにとどめ置くのと何ら変わりない。自分の選挙の為に、「時には原発賛成と決めたり、またある時には反対と決めたりする」ことが垣間見られ、そこには信念・胆力などが全く見られない。

 昨日、検査入院した町村さんが自民党の総裁選を継続することをきめたという。新聞報道によれば、森喜朗元首相が「ここで降りたら町村派がばらばらになる」と説得したからだという。信念・胆力もないうえに体力もない人でもいいというのだろうか。なぜ「町村派はばらばらになるが、ここは日本のために降りてくれ」と何故言わなかっただろう。こうして信念も胆力も体力も何にもない人たちが民主党は4人も、自民党は5人もでて党首選を戦っている。今の日本は問題山積だ。この難題に立ち向かえるとこの9人もの人たちは思っているのだろうか。

 ただし、政治家を嗤っていればそれですむというものでもない。我々も大なり小なりこれと同じようなことをしている。政治家でも、先生でも、社長でも、本田さんのように真剣に叱るようでなければならない。