毎日NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を楽しみに見ている

 水木しげるマンガが売れずに、40才過ぎても、扇風機も変えない極貧生活だ。心配したしげるの母が鳥取県境港からわざわざ上京してきて、ゲゲゲの女房に言う。「しげるは未だに貧乏だ。けど40才を過ぎて名を成した三浦綾子(小説氷点の作家)の例もある。決して絶望するな。希望を持て。しかし死ぬまで貧乏かも知れない。そのときは勘弁してくれ。いつまでも協力してやって欲しい。あなたは女房だから」と涙ながらに訴える件(くだり)がある。それからしばらく経って、遂に大商談(?)が舞い込んできた。それまでの貸本マンガはせいぜい2,000部程度だったのに今度は40万部というのだからスゴイ!。しかしその雑誌社の要請は「SFものにしてくれ」という。しげるは断った。生活は極貧、何十年も血のにじむような努力をしてきても結果がでない。しかもそれがいつ果てるともしれない時にだ。
 
私は、「温泉水99」を立ち上げた頃の苦難の時代を思い出した。ある200数十店にも及ぶ大チェーン店と商談が継続していた。夏休みも過ぎたころ、その仕入れ担当者から呼び出しを受けた。「いよいよ秋の品揃えに加えてもらえるのだ」と二人で喜び勇んで出かけていったら、問答無用、のっけから「3円引け」という。こちらの都合も、原価もあったもんじゃない。「それなら結構です」とお断りしたら、もともとはその会社の社長さんとの強いコネがあっての話だったので、呆然としていた。出入りの業者に断られるなどということは一度も経験したことがなかったので、さぞかしビックリしたのだろう。しかし先方も一度言い出したら引っ込められない。結局破談になってしまったが、帰りの電車では前途に不安を感じて気持ちが沈んだ。
 それから1年程経った頃、こんどは日本で1、2番目に大きい食品問屋さんと商談があった。全てはトントン拍子で進んで行ったが、最後の最後、支払いサイトでどうにもならなくなってしまった。先方は先方で、120日の支払いサイトを縮めるというのは簡単なものではないらしいのだ。社長か取締役会の承認がいるというのだ。しかし我社は「社長が脱サラだから貧乏で120日では倒産してしまう」と、折衝は延々10ケ月にも及んだが遂に承諾してくれた。営業部長のご苦労も大変なものだったと思う。
 
 今でも時々思い出す。あの頃は私も水木しげるも全く同じような状況だった。全然売れない、99は全く無名だった。会社は毎月々々の大赤字。それなのに、なぜ大商談を断ったのだろう。まったく何にもなかった中で、必ず、私は「売れる」、水木しげるは「売り出してみせる」という強い志(こころざし)だけはあった、のだと思う。