独裁の上御一人(かみごいちにん)か民主の御一人か、戦後の名経営者にみる。(その5)

戦後の名経営者といえば、ソニーの盛田さん、経団連の土光さん、ホンダの本田さんだろう。盛田さんの謙虚さ、土光さんの質実剛健、本田さんの心の広さは、天下一品である。

民主主義を考えるについて、本田さんについて考えてみたい。

 

本田さんは、技術者としてNo1の技量を持ちながら、経営の感覚も併せ持っていた。しかし経営の方は天下一品とまではいかないと自覚していたのだろう。その方面は藤沢武夫氏に全面的に任せた。この辺の人を見る目と心の広さは天下一品である。

そんな本田さんでも間違えることはある。自動車のエンジンを水冷にするか空冷にするか、社内で大問題になった。本田さんは空冷、対する技術の幹部たちはいっせいに水冷を推した。カリスマ経営者の本田さんが、自分の意見を否定する幹部たちに、自由な意見を言わせているというところが偉い。しかし、何しろ相手はカリスマ経営者である。ただ一人とはいえ、幹部たちが束になってもかなわない。そこで藤沢さんに何とか説得してくれるように頼み込んだ。そういう藤沢さんをNo2にしていたということもまたまた偉い。ついに藤沢さんが直談判に及び、水冷にすることに決定した。そして本田さんは現役の第一線から退くことを決意したのである。

 

プーチン習近平金正恩の周りには、自由に意見を言える雰囲気はなく、周りは全員イエスマンの独裁者である。木下尚好のいう「上御一人」(かみごいちにん)で、上御一人が決めたことは全員が恭順するしかない。上御一人にミスはないという建前になっている。

本田さんはトップではあったけれども、自分にも足らざるところもありミスもあると自覚されていたのだろう。みんなに自由に意見を言わせた。私が勝手に名付けたことだが「御一人」(ごいちにん)といってもいい。

上御一人と御一人とでは、最後の決定権者、最終的な責任を取るという点では共通するが、実は天と地の差がある

 

福島原発の事故で、時の総理や東電の社長は責任を取らなかった。全責任を負うというのが「御一人」であるとしたら、御一人ではなかった。

日本の30年間にも及ぶ経済の停滞は、残念ながら御一人が居なかったに尽きる。パラダイムシフトには御一人に俟(ま)つしかない。