独裁か民主主義か

「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉があるが、最近民主主義国家の乱れが激しい。

民主主義とは多数決である。多数を占めるのは当然のことながら庶民、一般大衆である。しかし

近年グローバル化と過度な金融資本主義により、極端な格差が生まれている。例えば、米国の企業トップの報酬総額が、中央値で従業員給与の400倍を超えるとの調査がある。極端な例だと4万倍の企業さえある。仏経済学者のジャック・アタリ氏は2030年を展望した著者で、「世界の人の99%が激怒する」時代の到来を予測しているという。

                        (日経新聞 2019/8/21付)

企業トップのみならず資本家の株主に対する配慮も並々ならぬものがあり、労働分配率を減らす一方で、配当と自社株買いは増やし、企業トップや資本家と一般庶民との格差は広がる一方である。

この結果、ポピュリズムがはびこり、トランプやジョンソンのような鬼っ子を生み出した。民主主義国家のこの無様な様をみて、ロシアのプーチンはフィナンシャルタイムズのインタビューに答えて「自由主義的な考え方は時代遅れになった」と嘲笑している。

国家でも企業でも、民主主義が独裁に負けるようなことは絶対あってはならない。

独裁がいいか、民主主義がいいか、国にとっても企業にとっても永遠の課題だ。当然一長一短がある。

私のつたない結論であるが、独裁的民主主義がいいのではないか。トップはあくまでも一人(いちにん)であり、形式的には独裁である。しかしこの独裁者は、善意の私利私欲のない、何が正しいかきちんと判断できるクレバーな人でなければならないのはいうまでもない。

このような人は稀有ではあるがいることはいる。しかし、やんぬるかな、一人では限界がある。第一人者が、例えば人事権というある一部だけに限定された絶対権力を有した上に、各部署、司々の長に全てを任せるというのはどうだろうか。人間すべてを全く任せられ、何も怖いものがないということになれば、ロクなことはない。全ては任せられているが、その上に絶対権力者の人事権者がいるとなれば、おのずから自制が効いてくる。

このような組織論に、私は寡聞にして出会ったことがない。是非。このような論を展開する本なり文献を見たいと思っている。心当たりのある人は是非教えて欲しい。

「君臨すれども統治せず」ということばがあるが、「君臨して統治はするが、ある権力(例えば、人事権とか許認可権とか)だけは持つということになれば、彼(か)のチャーチルからも少しは褒めてもらえるのではないかと思っている。(今週の弊社議事録より)