原始生活がいいか資本主義がいいか

今はデフレで世の中かしましいが、国としても個人としても前年を上回る(つまりインフレ)という前提の下に社会が成り立っている。
会社も同様だ。最初は独身の新入社員も、やがては結婚し、子供をもうけ、家を建てる。年を重ねるとその分冠婚葬祭も増える。つまり年々経費がかさむのである。社員の皆さんの生活を守っていくためには、いかに世の中がマイナス成長であろうとも何とか前年比をクリアしなければ、給与を上げられないのだ。


その点、赤道直下の原住民は、年齢(とし)をとったからといって生活費が上がるということでもないし、100年前と同じ野良仕事で、機械化も作業改善もなかった。むしろこれらのことをしなかったから、成長はないが今の安定がある。資本主義ではないから、十分やっていける訳だ。もっと言えば、原住民の生活には、機械化や作業改善は悪なのだ。つまり、生活規模(会社でいえば売上げ)が大きくならないから、もし機械を導入したり作業を改善したりすれば、人減らしをしなければならないとか、生活様式を変えなければならないということになり、社会全体としては安定した生活が得られなくなってしまう。

しかし資本主義は、日々前進することを前提にしている。安定を捨てて前進を選択した。だから、創意工夫によって生産性を上げるのが至上命題である。そのために、機械化もするし作業改善もする。人口は増やさなければならないし消費をどんどん増やして経済成長させなければならない。その分、資源はどんどんなくなって行く。

原始生活がいいか資本主義がいいか。人類は永遠であるとなれば、安定を選んだ原始生活が適しているということになるのではないだろうか。