「おしん」を見て自分の生き方を考える

本社月曜ミーティング〔2013年1月7日(月)〕議事録(その3)

2)「おしん」の再放送がはじまった。あなたの人生を考えるうえで必見だ
 
昨日からNHKの「おしん」の再放送が始まった。(毎週日BS10:00〜11:30)。日本中の大ヒットとはいえ30年前のことだから今の若い人たちは見ていないと思うので是非見てもらいたい。(30年前といえば奇しくもSOCの創業のころである)。

おしん」は、今でもインドネシア、フィリピン、台湾、香港、ベトナムアフガニスタンシンガポール、エジプト、イランなど世界66か国や地域で放送され、苦難に遭いつつも決してあきらめず、明治、大正、昭和を生きた主人公・おしんの姿が、日本だけでなく世界各国で人々の共感を呼んでいるという。今日現在、「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」とされ今もなおファンが多く根強い人気がある。人気があるというのは必ずそれなりの理由がある。見る前からあれこれ言わず「みんながいいというなら私も一度見てみるか・・・」くらいの柔軟性を持って欲しい。

日本の経済成長の歩みは、下記の表のごとく今日のアジア諸国の経済段階をなぞっているようで、非常に示唆に富む。日本は、明治以来世界の奇跡といわれる程の経済的成長を遂げた。特に戦後の高度成長は著しいが、日本の明治・大正は今の赤道アフリカ諸国、昭和初期はミャンマーといったところか、貧乏といっても桁違いの貧乏だった。おしんはその過程をたどって、極貧から身を起こしスーパー17店の経営者になった。今は比較にならない程の裕福さだ。しかし「それでは幸福になったかといえば大いに疑問だ」。この辺が「おしん」の物語の面白さで、みなさんに是非見なさいという所以だ。
 
1983年(昭和58年)新春、北へ向かう列車の中である老婦人が座っていた。彼女の名は田倉(たのくら)しん。
三重県志摩半島の各地に構えるスーパー経営者である彼女は、新店舗開店という記念すべき日に行方をくらましてしまった。
おしんは山形のとある廃村に向かった。雪深い山道を進み、        
廃村へと辿り着いた。そこがおしんの故郷であり、雪の中で廃屋となっていた我が家を見たおしんの眼に涙が浮かんでいた。
おしんは、同行した孫に「この家出が80年以上の人生で自分は一体何を得て、何を失ってしまったか。また、自分のことだけしか考えない経営方針に突き進む息子をどこでそういう息子にしてしまったのかを振り返るための旅だ」とうち明かした。(ここまでが昨日の放映部分)

物語は1907年(明治40年)の春、明治も終わりにさしかかった山形の想像を絶するほどの貧しい農村で生まれた「おしん」の少女時代から始まる。
橋田 壽賀子原作のモチーフは、子守奉公や女郎屋に売られた、ある明治生まれの女性が、人に言えない苦労を病床で綴ったものだという。また、創業当時の行商などは実在するダイエー中内功ヤオハンの和田カツがモデルだとも言われている。物語はフィクションだが、3つの時代の本質をきちんと踏まえた、「豊かさとは何か」、「幸福とは何か」、「自分はいかに生きるか」ということを考えさせる極めてノンフィクションに近いドラマなのだ。特に私が感心するのは、30年前といえばスーパーの全盛期で誕生するスーパーはあっても死亡(倒産・吸収合併)は殆どないという頃に、既に、この三重県の「田倉スーパー」の倒産を予言していたという点である。生半(なまなか)な人ではない。今は逆に倒産はあっても、誕生は日本国中一社もない。いかに今の日本が活気を失って成長性がないか、この一例でも顕著だ。

明治大正時代の経済レベルでは余りにも貧乏過ぎて確かに不幸であったろうと思う。が、かといって今の時代のように、裕福だからといって幸福だとも限らない。日本ばかりではない。先進国といわれるアメリカ・イギリス・イタリアの若者の姿をみれば判るように、彼らは幸福とは思っていない。ニートになったり世をすねたり、時には銃をブッぱなしたりしている。経済的な豊かさは必ずその反対給付も連れてくる。
皆さんは今、エスオーシーで水事業に携わりながら暮らしている。それぞれの年代で、自分はこれからどんな生き方をすべきかを考えることが大切だ。難しい本を読めとは言わないが、せめてテレビのノンフィクション(ある程度の実話)や名作くらいは観て、少しの時間を自分の行く末について考える時間にしてほしい。
 いつも言ってることだが、裕福さは程々でいい。大きい企業だからいいということでもない。しかし成長性は不可欠だということを知ってほしい。