世はディスカウントばやりである。ディスカウントは国を滅ぼす。

ディスカウントストアのドン・キホーテが、かっての老舗総合スーパー・長崎屋を買収して新型の店舗に改装、「今までにやったことのないことをやれ。今となっては過去のデータはあてにならない」と、従来のスーパーの発想を完全に否定している。それも「激安」を越えた「驚安」戦法で、不況を逆手にとって売上げは前年の4倍を目指すという。


しかし、私は、このドンキー商法に大きな疑問を禁じえなかった。
「顧客の立場に立って考える」。だから「売り場」ではなく「買い場」と呼べという。「きれいに陳列すればするほど高く見える。雑にすればするほど安く見える」と、せっかく店長がきれいに陳列していたものを、副社長がバラバラに崩したりすることが、果たして顧客の立場に立ったものなのだろうか。
また、テナントの「熱血商店街」の社長さんたちと比べて、「俺達負けてられないな。この人達は命を懸けてやっている。俺達まだまだ足りないんじゃないか」というくだりがあるが、そもそも一般の従業員と、将来の生活を新事業にゆだねる新社長と比べること事態無理がある。
要するに、従業員はコキ使い、仕入れ業者からは仕入れ値をたたくだけたたく。他人の心など「知ったこっちゃない」。


文芸春秋今月号に、同志社大学 浜矩子教授が「ユニクロ栄えて国滅ぶ―――安売り競争は社会を壊す恐るべき罠だ」と寄稿している。ある企業が安売りを始めると競合上他社も安売りに走らざるを得ない。とどのつまり、価格破壊となって、どの企業も利益が削られて、従業員の給与も削られる結果となる。低賃金では、従業員もつまりは全サラリーマンも消費者であるから、安い価格のものしか買えなくなり、さらに給与が下がる悪循環に陥るのである。そこはペンペン草も生えない不毛の地だ。


今のグローバル資本主義では「自分さえ良ければ」という考えしかない。かってヨーロッパ人がアメリカ大陸で平穏な生活をしていた人々を殺戮したり踏みにじったりしたが、今では、ヨーロッパ文化の対極にあった日本も、そのグローバル化に染まってしまった。強いものだけが生き残れる、価値があるという思想である。みんなが、自分だけは生き残ろうとして価格破壊をすると、「合成の誤謬」で皆が不幸になってしまうが、そんなことにはお構いなしというのが、価格破壊者の真実である。「自分さえ良ければ」ではなく「他人のために」という気持ちで行動すべきで、新政府の「国民が豊かになる」という政策は、この考え方なくしては決して実現しないだろう。

 
小泉・竹中改革で中心的な人物だった「中谷 巌」氏が、「資本主義はなぜ自壊したのか」で、「間違っておりました」と「懺悔の書」を著した。 今更そんなことを言われても困るばかりだが、もし間違っていたなら潔く、その旨告白してもらった方が、弁解ばかりで自説を曲げない人より余程いい。
著者は、「資本主義が発達していくと、富とテクノロジーさえあれば、他者とのつながりなど必要ない。他人との直接的な触れ合いやつながりを大事にすることなどは非効率で、感傷的なことである、という考え方が蔓延しているのが今のグローバル資本主義社会というやつであり、それによって我々の社会には格差が広がり、社会全体の一体感が失われている」といっている。