「やしきたかじん」さんが関西の毎日放送のTVで紹介してくれた

やしきたかじん」さんが関西TVで紹介してくれたので、注文がさばききれず、お客様には大変ご迷惑をおかけしております。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
 聞けば関西では知らない人は居ないというカリスマで、視聴率も高いが、何よりもおっしゃることがまともなので、皆さんは、たがじんさんのおっしゃることに「全面的に信用している」という。これまでの私の先入観「やってることはハチャメチャ。子分を連れて飲み歩き喧嘩ぱやい!」というような人ではなさそうだ。
 何しろ、TVでたった2分半『温泉水99』が健康によい、と言ってくれただけで、まだ主婦の方で飲んでもいないのに、ご自分の子供さんとかお隣さんに紹介する!などという普段では到底考えられないようなことが起こっている。こんなに影響力のある「やしきたかじん」て一体どんな人?これは容易なことではないな、と思って本を買ってみた。

 以下 「たかじんが来るぞ!」より

ほんの一部をご紹介する。


 長崎の普賢岳が噴火したとき、その惨状を見て「これは大変なことになった。にもかかわらず国は何もしようとしない」と義憤にかられ、急遽自腹を切って長崎へ飛んだ。あちこちの避難住民の生活ぶりなどを見た後、ある旅館に泊まったのだが、その女将の本物のおもてなしなし振りに心底感動した。帰阪した「たかじん」がTVで散々「国は何をしとるんじゃ!バカモーン!人質にとられた日本人を救出するのも大切や。けど、島原の住民を救出するのも同じくらい大切なん違うんか」と吼えた。

 その後、ある人が女将を伴って訪ねて来てくれて、国はついに重い腰を上げなかったけれど、「雲仙温泉に客足が戻ったし、全国から温かい寄付が島原市に集まった」と礼に来た。その人こそ「たかじん」の大恩人で、何と!余りにも偶然!!あの女将の弟さんだった、というのである。
 
 実は、そのお話から遡ること12年前、「たかじん」がレコードデビューを果たしたが、その後鳴かず飛ばずですさんだ生活を送っていたとき、「鳳蘭の曲を作ってくれないか」と訪ねてきてくれた人がいたというのである。そのツレちゃんのために5曲も作曲したのがきっかけで、それまでのヤケッパチな生活からグッバイできた。そのキッカケを作ってくれた大恩人が、偶然投宿した旅館の女将の弟さんだったというのである。私はこのお話に感動した。たかじんさんの持ち前の正義感から発した「島原住民を救え」という行動が、思いがけなくも大恩のある方に12年後にお返しできた。因果応報、いいことをすればいつかそれが自分のためになるのですね。
 
 「たかじんが来るぞ!」は、あきれたり、笑ったり、感心したり、涙ぐんだり、なかなか面白い本でした。