熊本地震について思う。

熊本、大分で起こった大地震は、今でも余震が次々と発生し、住民の不安は極度に達している。地震学者を始め誰もが予想だにしなかった、地震の起き方やそれに続く大きな余震の連続で、結局、みなさん「前例がない」「わからない」という。
 
 そもそも御嶽や口の永良部島の火山の例や東日本大震災地震の例を見るまでもなく、誰も「わからない」のだ。それにもかかわらず「どんなものでしょうか」という問に対して、火山学者や地震学者は「ゼロではない!」という。高名な偉いといわれる先生ほど、威厳に満ちた口調でおっしゃる。実はこれがくせものなのだ。「ゼロではない」と言われれば、誰もが責任を取りたくないから、無難の方、無難の方へとなびいて行き、遂には「全員退去」となる。

 以前、ある県議からお聞きしたが、口の永良部から屋久島へ避難している人たちに慰問に行ったおり、涙ながらに「島に帰してくれ」と訴えられたという。半年以上も、家や田畑や家畜を放棄するというのは、想像を超える。それが、半年も経過して、殆ど何も起こらなかった。そして昨年末には帰島となった。
そもそも、その時「ゼロではない」と言うのではなく「わかりません」と言ってくれれば、「全島避難」などという極端なことにはならなかったのではないか、としみじみ思う。

 それにつけて思い出したが、もう10年も前だったろうか、TVの「たかじんのそこまで言って委員会」で、地震予知が可能かどうか聞かれた、東大の地震学者ロバート・ゲラー教授>は、「わかりません」と、おっしゃった。「何と頼りのないことか」と強烈なもどかしさを感じたことを覚えている。しかし、その後の幾多の噴火や地震の報に接するにつけ、ゲラー教授の率直さ、誠実さに、頭が下がる思いだ。

 何でも、国から予算が100億円も出ているという。それ故「わかりません」と言えないというのでは、違う形の“二次災害”を引き出してしまうことにはならないだろうか。100億円!それはそれで結構でドンドン研究していただきたいが、予知を問われたら是非「わかりません」と言っていただきたいとしみじみ思う次第です。