堺屋太一著「団塊の世代 黄金の十年が始まる」

団塊の世代「最高の十年」が始まる

団塊の世代「最高の十年」が始まる

評論家や政府や官僚の将来の見通しは、はずれのオンパレードだ。円高不況とか言われた1985年の「プラザ合意」の頃、日本はすぐにも倒産するほどの大騒ぎだった。
そんな中にあって、堺屋氏が1975に書いた「団塊の世代」や「油断」において、その10年20年後のことをぴたっと見通していたということが、刊行後10年とか20年たって事実であることが証明された。私は氏の見通しの確かさを非常に高く評価している。
はたして「黄金の十年」が始まるかどうかは、私ごときに分るはずもないが、氏は、「もし日本がこのまま何にもしなければ、日本は惨憺たる有様になってしまっているが(小泉さんにしてもさして改革しているようには評価していないようだ)、きっと日本は改革して、黄金の十年が始まる」と、思っているようだ。それは「市場開放・規制緩和」と「高齢者が自分に合った仕事をする」ことだという。その説くところは・・・・


人類は長い間、六十五歳以上の高齢者一人に対して十五歳未満の年少者四人という割合で生きてきた、といいます。日本でも一九六〇年代まではそうでした。このため、数の少ない高齢者のためのものは、ほとんど何もありません。高齢者用の本も歌もない。スポーツといえばやっとゲートボールがあるくらい。
知価社会化が進めば、高学歴化するのは当然です。長寿は人類不変の望みです。この両方を前提にして年金の負担と受給者の比率を良好に保つ方法は、現役で働く年限を引き上げることです。つまり、世の年齢観を上方にシフトさせ、現役世代の概念を二十二歳から七十歳までに改めるのです。私が経済企画庁長官だった時に提言した「七十歳まで働くことを選べる社会」プロジェクトはそのためのものです。
六十代では十分に働けるし働く意欲もあるでしょう。いささか体力の衰える六十代後半でも、「年金兼業型労働力」として労働市場でも十分競争力を持つはずです。
ここで「定年延長」などを考えるのはもってのほかです。定年は終身雇用の終点と同時に真に「自由な労働力」への出発点でもあります。定年の延長は、「自由な労働力」への出発点でもあります。定年の延長は、自由な労働力としての出発を遅れさせるものです。「定年延長」という形になると、勤続が利権化します。年功で上がってきた賃金をどうするかの問題もあります。
定年延長を法定すると、職場によっては「いて欲しくない人」を置くことになるので心理的組織的な圧迫が生じます。何ごとであれ、「いて欲しくないもの」を強要すれば違法といじめを生み出します。同様に、再雇用の義務付けや従業員に占める高齢者比率の強制なども良くない結果を生むでしょう。高齢化社会の繁栄には、自由競争による効率向上が不可欠です。それを妨げるような規制は一切なくすべきなのです。
 多様な高齢者が、それぞれの条件と好みに応じて、充実した気分で働くためには、多様な勤務形態が必要です。勤務の時間や日数、場所や仕事の内容を多様にして、それぞれに応じ賃金の額や支払い方法を考える必要があるでしょう。
これまでは、誰もが正規社員となって、通勤五日一日八時間の勤務をするのが最善、と思い込んでいます。しかし、一度(六十歳で)定年を終えた自由なる労働者は、そうとも限りません。正規社員の肩書きを欲する人もいれば臨時非常勤の自由度を好む人もいる。通勤四日がよい人も一二時間労働が好都合の人もいる。一年十二カ月のうち十カ月だけ働きたい人もいるはずです。これを妨げている「正規社員優越認識」を除去する社会運動も必要でしょう。勤務の場所にしても、都心の本社ビルに通勤して集団に加わるのが楽しいという人もいれ、自宅に近いサテライト・オフィスがよいという人もいるでしょう。もちろん、インター・ネットを活用して自宅勤務を望む人は多いはずです。それぞれ求める収入や提供できる動き(成果)との関係で決めることです。

 そして戒めとするべきは、「子や孫のためにお金は使わない」ことです。 
北欧諸国など、年金が上手くいっているといわれる国々(実際はそうとも限らないが)はみな、ライフサイクル的人生観、つまり「自分の生涯だけで全ては終わる」という思想の国々です。
  昔から大阪商人には「ため一割」という言葉があります。自分が相手に十尽くしたとしたら、相手は三してもらったとしか思わない。それで「あの人は三してくれたんだから、三返さなければ」と思って三のお返しをしてくれると、こちらは「一してくれた」としか感じない。結局、こちらが十したのに返ってくるのは一だけに思える。
 だから「一割返ってくれば十分だと思わなければいけない」というのが「ため一割」の教訓です。等価交換を前提として生きる商人でも、仲間や親族との付き合いでは、「ため一割」そのつもりでなければ敵を作ってしまうのです。


東洋の伝統的な思想では、人生は冬から始まります。少年時代を黒い冬、玄冬といいます。亀(玄武)のごとく地を這い、体力と知力を積み重ねるときです。やがて20歳ころに春が始まる。これが青春です。龍(青龍)は雲を得て天に昇る飛躍のときです。40才からの中年は夏です。人生の赤い夏、朱夏です。雀(朱雀)は群がり騒いで派手に動く時期です。そして60を超えて実りの秋、白秋が始まります。虎(白虎)は、雀のように動き回ることも群れることもありません。自信を持って人生の収穫を楽しむべきなのです。そして、いったん事があれば一声吼えると天下が驚く。そんな境地こそ理想です。
「人生は春から始まって冬で終わる」と考えている人がいます。大間違いです。60歳より上は、人生の実りを楽しみ味わう秋なのです。特に団塊の世代にとっては、自ら求める商品と流行を創り出し、「好きな遊び」を楽しめる「黄金の時代」なのです。