人生の"実りの秋"をいかに迎えるか(その2)

同窓会と言えば、私が68歳の折、高校卒業50周年の会報に、次の手記を寄せたのを思い出したのです。

 

 “実りの秋”を如何に迎えるのか          

私が実社会に出たのは、他の人より4年も遅れて26歳の時でした。長い冬が過ぎて、待ちに待った春、現役の時代がいよいよやってきたのです。ある時、26という数字は私にとって一つの運命であろうと気付き決心した。49歳でサラリーマンをやめて小さな会社を立ち上げましたが、52歳の時改めて考えました。この年を現役の中間点としそれから26年、78歳まで現役を勤めよう、と。

 そして今。地方が不景気です。どうせ税金を払うなら地方へ払おうと、65歳の時、東京から鹿児島へ本社を移し、同時に一部の社員にも転勤してもらいました。地元の市長さん始めたくさんの人に歓迎してもらえましたので、昨年、私自身、一人暮らしのできなくなった家内の親の世話をするには田舎の方がいいということもあって、一家でこちらへ引越して来ました。

 

3年ほど前、堺屋太一の文章が目にとまりました。

 ≪東洋の伝統的な思想では、人生は冬から始まります。少年時代を黒い冬、玄冬といいます。亀(玄武)のごとく地を這い、体力と知力を積み重ねるときです。やがて20歳(私的には26歳)ころに春が始まる。これが青春です。龍(青龍)は雲を得て天に昇る飛躍のときです。40歳(52歳)からの中年は夏です。人生の赤い夏、朱夏です。雀(朱雀)は群がり騒いで派手に動く時期です。そして60(78歳)を超えて実りの秋、白秋が始まります。虎(白虎)は、雀のように動き回ることも群れることもありません。自信を持って人生の収穫を楽しむべきなのです。そして、いったん事があれば一声吼えると天下が驚く。そんな境地こそ理想です。

「人生は春から始まって冬で終わる」と考えている人がいます。大間違いです。60歳(78歳)より上は、人生の実りを楽しみ味わう秋なのです。特に団塊の世代にとっては、自ら求める商品と流行を創り出し、「好きな遊び」を楽しめる「黄金の時代」なのです。≫

        団塊の世代「黄金の十年」が始まる(文芸春秋刊)より

 

私が考えてきたことと大変似ておりびっくりしました。人生の完成期・白秋を迎えるのが、堺屋氏は昔からの中国の思想をもとに60歳といい、私の場合は78歳と、やや開きがありますが、あと10年しかなくなってしまいました。現役としては一応これまでのペースでよかったかなとも思っていますが、今後は若い人達にスムースにバトンタッチをしなければなりません。

移住をきっかけに、「温泉水99」というミネラルウオーターの製造販売1本に絞りました。というのも、次世代の若い人たちが、普通の力量でも真面目にきちんとやっていれば人並み程度には暮らして行ける安定的な職種と判断したからです。そんな訳で今は、現役ではありますが時間がそこそこあるようになりました。

 問題は、‘‘実りの秋”をどのように迎えるのか。今までは仕事中心にやってきただけに、そこから離れた人生というものは想像もつきません。果たして、堺屋氏のいう「黄金の時代」を迎えられるようになるのでしょうか。                     以上

徳仁親王は、同級生がそろそろ引退という時に、天皇という重責を担(にな)われる。(その1)

今日の読売新聞に、天皇陛下は、58歳の昨年6月、母校学習院大の同窓会で「みなさんは社会の第一線を退く頃ですが、私はこれからデビューです」とご挨拶された。ある同級生は、「重責を担う決意」を感じたという。

これを読んで、くしくも同じ58歳、私の高校卒業40周年の同窓会での1分間スピーチを思い出した。当時、何人もの友人が、もう既に退社したとかその予定とか言う挨拶が続いておりました。

私は、「私が実社会に出たのは26歳の時でした。大学を出るのに人より4年もおくれました。52歳の時心に硬く命じました。だらしなかったあの4年間のカバーのため、「今年を実社会での中間点として、あと26年78歳まで現役で頑張る」と。

ありがたいことに、昨年、その78歳を超えました。これからもしばらく頑張るつもりです。

 

鹿児島の桜は遅い

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昨日、満開の東京から帰ってきました。こちら鹿児島は、まだ3分咲きというところでしょうか。上の写真は弊社裏側の桜並木で、左隅ややぼやけているのは、温泉の蒸気です。

私のような寒い信州で生まれたものにとって「鹿児島空港の方はもう満開に近かったよ」といったところ、「ええ、あっちは寒いですから」という受け答えに笑ってしまいました。こちら鹿児島は、寒い方の北から、或いは山の上の方から咲いてくるのです。

世界は広いが宇宙はもっと広い(その2)

先日、黒四ダムは高さが186mもあるのに長さは6kmほどだが、アスワンハイダムは高さが111mなのに、何と!長さは300kmを超える、と書きました。エジプトはいかに平坦か、300キロも行ってたった111m上るだけなのです。これには、本当にビックリしました。

世界は広い!世界が広いといえば宇宙はもっと広い。

 

以前イギリスのホーキング博士が来日した時の講演で、「この宇宙には生命体が存在し得る天体は200万個はある」と言ったそうである。1個や2個ではなくて200万個というのだから、驚くというかその宇宙の大きさに度肝を抜かれた記憶がある。

その時、聴衆の一人が質問したそうである。「そんなにたくさんあるのに、何故出会わないのか」と。博士はこう答えたそうである。「生命体が存在する期間は、宇宙時間で見れば、ほんの一瞬(2~3秒のことと仰ったかどうか忘れたが)のことだから、出会うことはないのだ」と。

成程!!それ程宇宙は大きく、宇宙時間は長いのだ。我々はその極々小さい場所で、極々短い時間生きているのだな、と。

世界は広い!

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上の読売新聞の記事で鶴田ダムの高さは117メートルとあったのをみて、かってエジプトを旅行した時、アスワンハイダムが同じくらいの高さだったのを思い出し、資料を探ってみた。

やはりアスワンは111mでしたが、その湖の大きさが桁違いに大きいのです。

実は昔、黒四ダムを見に行ったとき、黒四は186Mの高さで、奥行きも6キロほどでしたので、111mのアスワンダムの湖の際にあるアブシンベル宮殿も、車でチョット行ったところと勝手に想像しておりました。それが、何と飛行機で行かなければならないというので、本当にビックリしたことを思い出したのです。それもその筈!! アスワンハイダムの奥行は何と!300キロを超えるのです。

ちなみに三つのダムの貯水量は、鶴田ダム0.12㎦、黒四ダム0.2㎦に対し、アスワンハイダムは132㎦と桁違い。私がビックリしたのも判っていただけるものと思います。

世界は広い!!

 

 

 

イプシロンが打ち上げられました


遅ればせながらですみませんが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨日の19日、ここ鹿児島の内之浦宇宙空間観測所からイプシロンが打ち上げられ成功しました。ここから内之浦まで直線距離で約45キロ程ですが東南の方角にその軌跡がハッキリと見えました。大型のH2Aは連続34回、このイプシロンは1号機いらい連続4回の成功だそうです。H2Aなどの大型は液体燃料ですが、このイプシロンは固体燃料なので、長期保管が可能のため、天候などで延期されても問題がないなど、様々なメリットがあるようです。暗いニュースが続く中、まさにアッパレな快挙でした。
ロケットとは逆の北側を振り返れば、いつものように悠然と桜島が御座(おわ)しました。

ゴーン会長解雇について思う

日産のゴーン会長が解雇された。最初ルノーのNo2として日産に繰り込んできたときは結構魅力的だったが、ルノーの社長になり権勢の頂に達し誰も怖い人がいなくなってから人が変わったように思う。

実は先週11月23日の満月は、藤原道長が「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と詠んだ日から、実に丁度1000年目だったそうである。 絶頂に慢心して「満月も必ず欠ける」という思いがない。ゴーンもまさにそうで、それで足をすくわれたのだろう。

 佐高信著「会社はこれでいいのか」(徳間文庫)という本で、西武の堤義明氏の転落について
魯迅は「暴君治下の人民は暴君よりさらに暴である」と喝破したが、堤義明という(裸の王様)の取巻きたちは、義明よりも「さらに暴である」とも言われる。≫と記している。

 これは会社の運営がいかになされてきたか、という問題に帰着する。西武も日産も、業務が順調な時は、トップがどんなに醜いことをやっても周りの者は見て見ぬ振りをしたり、そればかりか自分から進んでお先棒を担(かつ)いだりしてきた。しかし、自分の身が危なくなりそうになったり、会社が倒産しそうになったり、つまり、日産がルノーに買収されたらと、自分たちの尻に火がついて初めて反旗を翻(ひるがえ)したのである。つまり「コーポレートガバナンス」がどこにもないのである。

 フランスではクーデターと言っているらしいが、日本で最も有名なのは三越の岡田社長解任事件だった。日産のゴーン、三越の岡田、西武の堤の暴君振りを見るにつけ、誰か親身になって諫言してくれるご意見番はなかったのかと思う。秀吉も天下をとったあと名参謀だった黒田官兵衛を遠ざけてからおかしくなった。
 矢張り会社というものは侃侃諤諤でなければならないとつくづく思う。会社の運営のあり方、コーポレートガバナンスというものは難しいものだと、今更ながら痛感する。