ゴーン会長解雇について思う

日産のゴーン会長が解雇された。最初ルノーのNo2として日産に繰り込んできたときは結構魅力的だったが、ルノーの社長になり権勢の頂に達し誰も怖い人がいなくなってから人が変わったように思う。

実は先週11月23日の満月は、藤原道長が「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と詠んだ日から、実に丁度1000年目だったそうである。 絶頂に慢心して「満月も必ず欠ける」という思いがない。ゴーンもまさにそうで、それで足をすくわれたのだろう。

 佐高信著「会社はこれでいいのか」(徳間文庫)という本で、西武の堤義明氏の転落について
魯迅は「暴君治下の人民は暴君よりさらに暴である」と喝破したが、堤義明という(裸の王様)の取巻きたちは、義明よりも「さらに暴である」とも言われる。≫と記している。

 これは会社の運営がいかになされてきたか、という問題に帰着する。西武も日産も、業務が順調な時は、トップがどんなに醜いことをやっても周りの者は見て見ぬ振りをしたり、そればかりか自分から進んでお先棒を担(かつ)いだりしてきた。しかし、自分の身が危なくなりそうになったり、会社が倒産しそうになったり、つまり、日産がルノーに買収されたらと、自分たちの尻に火がついて初めて反旗を翻(ひるがえ)したのである。つまり「コーポレートガバナンス」がどこにもないのである。

 フランスではクーデターと言っているらしいが、日本で最も有名なのは三越の岡田社長解任事件だった。日産のゴーン、三越の岡田、西武の堤の暴君振りを見るにつけ、誰か親身になって諫言してくれるご意見番はなかったのかと思う。秀吉も天下をとったあと名参謀だった黒田官兵衛を遠ざけてからおかしくなった。
 矢張り会社というものは侃侃諤諤でなければならないとつくづく思う。会社の運営のあり方、コーポレートガバナンスというものは難しいものだと、今更ながら痛感する。