大陸から難民が押し寄せてきたら!?

「もし中国が政情不安となれば、大量の難民が押し寄せる可能性がある」という。

アラブの春はアラブの冬へと転じ、その結果、シリアの難民危機が発生した。「アラブの春」に巻き込まれた四か国の人口は約1億2200万人(エジプト8200万人、チュニジア1089万人、リビア620万人、シリア2285万人)で、中国の10分の1にも満たない。この四か国では11年の「アラブの春」以降にISIS(イスラム国)が登場し、シリアは今なお戦火のさなかにある。他の三国も革命前の生活水準に回復せず、高失業率は昔のままで、職を持たない大量の青壮年人口が社会不安の要因となっている。シリアなどイスラム系諸国の難民がどっと押し寄せたヨーロッパ大陸は混乱のなかで「安全」を失った。
 
2016年末における中国の人口(香港・マカオを含めず)は13億8300万人である。「アラブの春」の経験を前にすれば、中国という世界一の人口大国に深刻な社会的混乱をもたらすような革命が発生すれば、隣国の日本は大変なことになる。オハマ大統領が「弱い中国は強い中国よりもなおいっそう脅威である」と語った真意はそこにある。それは「アラブの春」が長い「アラブの冬」に転じてしまった痛切な教訓に基づいているのだ。

中国は改革・開放政策を開始してほぼ40年、生態環境の犠牲と労働者の生命・福利厚生を代償にして経済成長を遂げ、中国人にしっかり飯を食わせることだけは果たしてきた。しかし今後、中国が、十分に食料を与えられなくなったり、若者に職を持たせられなくなった場合、内戦までは考えられない。というのも、軍や警察という暴力装置を完全に掌握しているし、報道管制はますます強固に待っているので、内戦や反乱が起こり、国が破壊するというのは考えにくい。しかし、我慢の限界を越えた民衆の暴動、その結果の棄民、難民は十分ありうる。この事実の経験に基づくなら、「中国問題」経の思考には新たな視角が必要である。国際社会は中央政府がいつ崩壊するのだろうかと空想に思いを馳せるよりも、この崩壊寸前の国にどう対処すべきかを真剣に考えたほうがよいだろう。

以上が、上記著書「中国」の要約である。
ところで先日、NHK「英雄たちの選択」では、壬申の乱(672年)の少し前、朝鮮半島では、新羅・唐の連合軍に敗れた百済の人たちが、何千人も難民となって日本にやってきた。その一人が滋賀県日野町に鬼室神社に鬼室集斯という人物が祭られているという。今から1300年以上も前に、日本海を超えて来たというのは驚きだ。今では容易に渡って来るだろう。
昨日、中国共産党の党大会が閉幕し、ますます習1強の度合いを強めており、強国をめざすと表明しており、余りいいことではないが、一方では、国内が締まって内乱が起きにくく、難民が押し寄せる可能性が少ないともいえる。

補助金が余りにも簡単に詐取されている


森友学園が9200万円もの巨額のお金を詐取したという。
詐取する側が悪いのは言うまでもないが、易々と騙し取られる側に、もっと怒りを感ずる。もともと、この補助金というのが問題だ。出す方も貰う方も、双方ともに、問題があり過ぎる。以前提案したことがあるが、貰う方は徹底的にプラスだけだ。「その分少しは痛い」という面をもってもらってこそ、バランスがとれる。
何でもそうだが、圧倒的にプラスだけというものは、この世にはないという風にしたほうがいい。例えば、補助金をもらう側の経営者には、給与を公開させる。出す方は、天下り先にはしないとか、発注を禁ずるとか、プラスもあればマイナスもあるというようにしなければならない、と思います。

補助金詐取について思う


籠池夫妻が逮捕されるようだ。容疑は、補助金を不正に受け取ったということですが、私は前々から、この補助金行政に大きな疑問を持ってきた。
この籠池夫妻を例にとると、2億円にも達する巨額のお金を、いくつもの案件で、しかも数十回にも及び不正に受け取っていたようだ。勿論、夫妻が逮捕されるのは当然とも言えようが、問題は、そんな巨額のお金を数十回にも及びだまし取られた側に、大きな問題がある。
世に騙される例は多々ある。例えばオレオレ詐欺にしても、騙された人は相当な痛みを伴う。しかし、この詐欺事件の場合、誰がその責を負うのだろうか。
先般、文科省が多数の大学や学校に補助金を与え、その見返りに、出向、天下りを繰り返していたいたことが、明るみになった。補助金を詐取された場合、相当な責を負う仕組みにならなければ、今後もこうしたずさんなことが繰り返されるに違いない。
また、受け取る側は受け取る側で、それ相応の痛みがなければ、全くの「もらい得」になる。少なくとも、その代表者くらいは、全収入をディスクローズするようにすれば、安易な補助金要請は減るのではないだろうか。
だいたい!2億円もの大金を利益で出そうとすれば、売上げを100億円も増やさなければならない大変な大事(おおごと)のことなのだ。それを、易々と騙し取る、騙し取られる、こんなことがあってはならないと痛切に思う。

明治期、日本初の軍艦建造に思う



垂水の道の駅に、垂水で日本初の軍艦を作ったという記念碑を作ると聞き、多少の寄付をした。上の読売新聞の写真は、垂水道の駅に建てた模型である。今後もこの程度の、身の程に応じた寄付はして行きたい。一つの義務でもあると思っている。

 ところで寄付といえば、先日ゴルフの帰り道、友人より興味深いお話を聞いた。
大阪の中之島公会堂を作った岩本栄之助。北浜の風雲児と呼ばれた相場師で、母親から「大阪には鴻池や大林組があるのに何でお前が・・・」と諭(さと)されたが、建設費として当時巨額の100万円を寄付した。しかしその後仕手戦に敗れ自殺したそうである。
 
 この話を聞いて、私は当初「調子に乗って散財や寄付をするのは気を付けなければならない」と感じたが、よくよく考えると、これは少し世の中が間違っているのではないだろうか。
 というのも、100万円もの巨額を市に寄付した行為は極めて立派な行為だ。その後、その人が倒産の憂き目に遭(あ)うようなことがあれば、せめて半額でも返してあげるようなシステムになっていれば、もしそれで、岩本さんが立ち直れたら、彼はその後どれだけ市に貢献をしたか判らない。また、市民が、その様を見れば、私も私も、といろいろな事業に寄付してくれるに違いないのだ。
 今のシステムでは、折角の立派な行いに極めて冷たい処遇となっているから、私が当初「調子に乗って散財や寄付をするのは気を付けなければならない」と感じたように、寄付はなかなか集まらないのだ。政治というものの果たす役割は途方もなく大きい。

リスクを理性的に判断する

熊本地震(くまもとじしん)は、気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が2016年4月14日夜および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。また、一連の地震回数(M3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっている。

 つまり、これ程強い地震に見舞われたのは、日本の有史以来初めてのことだった。ここで注目したいのは、そのような強烈な地震の中心地の益城町にあっても、下記資料にもあるように2000年以降に建てられた建物のうち55.4%は無被害だったという事実である。
[:large:left]
桜島の噴火に対して、大学の先生が「ゼロではない」という。当たり前だ。ゼロではないのは誰もが分かっている。しかし「ゼロではない」といわれれば、行政は責任を負いたくないかどうかは知らないが、次に来てもいいように、つまり必ず来ると想定して過大な準備を強いる。「ゼロではない」がいつの間にか「100%」に変質してしまう。

 口の永良部島にしても、一回限りの噴火だった。「ゼロではない」から、行政は全島避難を島民に強制した。その後2年間全く噴火がなかったのに踏まえて、島民をようやく帰島させたが、いかんせん長すぎた。島は見る影もなく荒れ果てており、回復は最早不可能に近いという。本当にここまでの犠牲を払わなければならなかったのか。

 もう一度当時を振り返ってみよう。新岳から噴火し、噴煙が火口から約10,000メートルの高さまで達したのは2015年5月29日9時59分のことだった。そして全島避難緒命令が下された。「ゼロではない」が「100%」に変質した瞬間である。それまで、地震予知の専門家で誰も警鐘を鳴らした人もなく、余りに突然のことだったので、全島民が身支度を整え、 同島本村港より屋久島町営フェリー太陽にて避難先である屋久島に向け全島民避難したのは15時40分だった。つまり6時間近くも経っていた。しかもその間に、向江浜地区で犬の散歩をしていた男性が一人やけどをしただけだったのである。

 噴火をそれ程恐れるなら人口は137人( 世帯数82戸)しかいないのだから港に中古の船を一漕待機させておけばそれで済むのではないか。それこそ今度は、せいぜい2時間もあれば全員集合できるようし、前のことを考え併せれば人に被害が及ぶとは考えにくい。こんなバカなことを繰り返していたら、この島も無人島となり、どんな国の人間が住み着くとも限らないのだ。
 
 確かに地震も、火山も、テロも怖い。問題はそれに遭遇する確率である。これこそ理性である。それに引き換え、もっともっとリスクのある自動車運転やお風呂に入ることは平気である。
 自然災害ばかりでなく、我々が生きて行く中で、様々な危険に出逢う。その濃厚を冷静に理性的に見つめ、リーズナブルに対処することがなにより大切ではないだろうか。

ひよっこの高校の画像が私の母校の松本深志高校

NHKひよっこ」の主人公がいよいよ高校を卒業して東京へ旅立つことになりました。

実は、先週東京で、毎年春秋恒例の高校の同窓会があったのです。私もできるだけ出席してきたのですが、今回は欠席しました。出席した同級生から「ひよっこに出ているのは我々の母校だということだった」と連絡があったのです。
私も前々から、似たような学校だとは思っておりましたが、まさか本当!?とは思わなかったのですが、学校が相当古いからという理由で選ばれたようです。


少し古いですが、この写真は2006年の時に撮ったものです。あの頃はみなさんお元気でした。

今の若者は辛抱が足りない

フランス大統領選が大変注目されます。
アメリカでもイギリスでもそうでしたが、フランスの若者が政府を恨み投票する風景を見るにつけ、つくづく今の若者は辛抱我慢が足りないと思います。

今朝のNHK連ドラ「ひよっこ」を思い出しました。出稼ぎに行ったお父さんが行方不明になり仕送りが途絶えたために、主人公が高校卒業と同時に東京へ働きに行き、お父さんに替わって仕送りをしようと、誰を恨むでもなく明るく母親に告げるシーンに感動的でした。
しかし思えば、高卒ならまだいい方で、「おしん」は小学校も上がれずに、口減らしで奉公に行きました。7歳や8歳では一人前の仕事もなく、できるといえば子守くらいしかなかったのでしょう。仕送りをする稼ぎなどあるはずもなく、ただ口減らしのために故郷を出たのです。そのおしんもまだいい方だというのです。先日逝去されました同じ山形出身の渡辺昇一さんは「おしんはまだいい方で、当時の山形では平均的だった」と、おっしゃっていました。「本当かいや!?」とも思ったのですが、確かに小作人ではあったが家は自分のものだったようだし、きっとそうなんでしょう。それほど、当時の日本は貧しかったが、みんな一生懸命生きて今日の日本を作りました。

ここからそれ程遠くはない所に五木村があります。私の知人が五木の出身で、中学校卒ながら大きな会社の専務さんになられました。「五木は朝10時に日が昇り2時には日が陰る。そんな貧乏なところだからみんな中学校を出れば集団就職で故郷を出た」と。いつも素晴らしいお話をされるので、一度わが社に講演に来ていただきました。

その五木の子守唄でも、
“おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ヤおらんど、 盆が早よ来りヤ 早よもどる”とありますが、
『私は、盆までの約束で、子守に来ているけど、盆になれば家に戻れる。早く盆が来てくれればもっと早く帰れる』とうたった歌です。しかしこれもはかない夢で、盆になっても帰郷できずそのままずっと奉公を続けたというのが現実ではなかったでしょうか。7〜8歳の年端もない小さな体では、赤ちゃんは途方もなく重く骨身にこたえたことでしょう。それよりもっと辛かったのが家族と離れていたことだったのです。

こういう辛抱を考えれば、今の若者は相当なことを我慢できると思うのです。辛いときは「おしん」のことを思い、五木の子守唄をうたって、是非乗り越えてほしいと・・・・。