明治期、日本初の軍艦建造に思う



垂水の道の駅に、垂水で日本初の軍艦を作ったという記念碑を作ると聞き、多少の寄付をした。上の読売新聞の写真は、垂水道の駅に建てた模型である。今後もこの程度の、身の程に応じた寄付はして行きたい。一つの義務でもあると思っている。

 ところで寄付といえば、先日ゴルフの帰り道、友人より興味深いお話を聞いた。
大阪の中之島公会堂を作った岩本栄之助。北浜の風雲児と呼ばれた相場師で、母親から「大阪には鴻池や大林組があるのに何でお前が・・・」と諭(さと)されたが、建設費として当時巨額の100万円を寄付した。しかしその後仕手戦に敗れ自殺したそうである。
 
 この話を聞いて、私は当初「調子に乗って散財や寄付をするのは気を付けなければならない」と感じたが、よくよく考えると、これは少し世の中が間違っているのではないだろうか。
 というのも、100万円もの巨額を市に寄付した行為は極めて立派な行為だ。その後、その人が倒産の憂き目に遭(あ)うようなことがあれば、せめて半額でも返してあげるようなシステムになっていれば、もしそれで、岩本さんが立ち直れたら、彼はその後どれだけ市に貢献をしたか判らない。また、市民が、その様を見れば、私も私も、といろいろな事業に寄付してくれるに違いないのだ。
 今のシステムでは、折角の立派な行いに極めて冷たい処遇となっているから、私が当初「調子に乗って散財や寄付をするのは気を付けなければならない」と感じたように、寄付はなかなか集まらないのだ。政治というものの果たす役割は途方もなく大きい。