「ああ上野駅」への男たちの想い

先日の南日本新聞「天文間夜話」の「ああ上野駅」は印象深かった。


先日TVでもやっていたが、昭和20年代30年代の20年間で19万人もの人が、金の卵ともてはやされて、ここ鹿児島から当時大阪まで17時間もかかった集団列車で関西方面にそれぞれ就職したそうである。その人たち一人ひとりがどれ程の悲壮感と覚悟を胸に秘め、旅立って行ったか。場所こそ違えその思いが「ああ上野駅」に込められているのだ。今ではこの人たちが中心メンバーになって関西鹿児島県人会を結成し、毎年、京セラドームで鹿児島ファンデーを開催し5万人もの人たちを集める。我社もブースを設けさせていただき大いにお世話になった。この人たちの内100人が、鹿児島まで延伸される新幹線、3月12日の1番列車で来鹿されるそうである。
 興味深いことに、女より男のほうが、比較にならないくらい悲壮感が強い。女は割りに平気で新しい環境になじむ。「なるようにしかならない」という感覚なのかもしれない。しかし男は、自分でこの苦難・環境を切り開いて一家を養うという感覚が強い。だから「ああ上野駅」なのだ。歌うのは男ばかりで、女が歌うのは聞いたことがない。こう思って、南日本新聞の記事を読んでもらうと面白いかもしれない。

作曲:荒井英一 作詞:関口義明
どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ 上野は俺(おい)らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった
就職列車に ゆられて着いた 遠いあの夜を 思い出す 上野は俺(おい)らの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を とめて聞いてる 国なまり
ホームの時計を 見つめていたら 母の笑顔に なってきた 上野は俺(おい)らの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど 胸にゃでつかい 夢がある