国の農政は間違いだらけ

BS日テレ 『夢は刈られて 大潟村・モデル農村の40年』 2011年2月20日(日)。これは秋田放送が40年に渡って撮り続けた記録だそうです。

大潟村は戦後の食糧不足を解消する為、1957年に日本で琵琶湖に次ぐ2番目に大きい八郎潟干拓して米を作るという政府の方針に賛同し、故郷を捨てて新天地に飛び込んだ人たちが全国で580人に達した。皆さん、自分の将来に胸を膨らませ、一家で新天地に越してきたわけである。

しかし、そのわずか6年後、国は農民たちに米を作るなと減反を強制した。米が余りだしたというのです。当時農政に携わった人たちは、たった6年後のことが予想できなかったのでしょうか。そんな人たちが、あろうことか絶対権力を持ち、農民を引き回す。「従わなければ田んぼを取り上げる」と言うのである。

国が決めた突然の減反政策によってがんじがらめにされ、借金漬けで自ら命を絶つ者さえ現れる。米は余剰だとばかり国の指示通りに作物を切り替えても、そこはもともと湿地帯でうまく育たず自殺者が続出。40年前から国に従ってきたある農家は、米の値段が下がり続け、今や4千万円の借金を抱えている。

一方、自分の信念を貫き減反を拒み、田んぼを耕し続けた者は土地を奪われ、せっかく育てた稲を国によって暴力的に刈り取られたうえに、土地を占領したとして1億円もの賠償請求をされ、農機具を全て差し押さえられ、どうにもならなくなって、行く先も告げずに村を去った人もいる。
 
それならばと、米の直販に生き残りの活路を見い出そうと産直をやり始めれば、食管法違反の闇米の親玉だと批判され経営を阻まれる。

こうして、20年の歳月と852億円の巨費を投じ、220k㎡という広大な肥沃の地をつぶしたわけである。220k㎡とは一体どのくらい大きいのだろうと計算してみた。何と、6,700万坪にもなるのですネ。
ウインウインの関係どころか、あれをやってもダメ。これをやってもダメ。八郎潟干拓にかかわった人たちはことごとく失敗に終わった。一方の圧倒的権力でその政策を強要した人たちが責任を取ったなどという話は聞いたことがない。諫早湾にしてもそうだが、このような人たちの延長上にいる人たちが、TPP反対などと騒いでも、到底納得できないのだ。

2009年11月に赤松農林水産相が現地を訪問し、ついに直販業者と和解。長年、みんなの生殺与奪の権を持っている怖い政府からようやく解放されたのである。しかしそれには相当難しい条件がついていた。「規定以上の米は米粉に使う」という条件である。しかし規定の内では食ってゆけないのだ。

TVの最後の場面。直販に最後の望みを託す社長が、東京ビッグサイトで開催されたスーパーマーケットトレードショウのブースの前に立ち、「1年間、死にもの狂いで米粉製品を売る。1年間やってできないなら2年やっても3年やってもできない」と、決死の覚悟を語っているところで終わっていた。


中には、「世の中の変化に柔軟に対応できない農家が悪い」という意見もあるかもしれないが、農民は、本来的に国の方針に従順に従うものなのだ。さればこそ、その結果が豊かな生活に結びつくようでなくてはならない。本来はこうして国が発展するものなのに、全く逆のことが起こってしまった。日本が疲弊するはずだ。