薩摩藩英国留学生記念館(その1)

高校時代の同級生が松本から3人、東京から3人、ここ垂水に遊びに来てくれた。3日間終日アテンドさせていただいた中で「薩摩藩英国留学生記念館」をご案内した。

薩摩藩と英国の薩英戦争でイギリスとの技術力の差をまざまざと思い知らされた薩摩藩は、尊王攘夷思想をさっさと捨てて、明治維新の3年前、最年少の13歳を始め若者ばかり19名を密かにイギリスに留学させた。大方は蘭学を学んでいた開明派だったが、その正反対に強硬な攘夷論を唱えていた3人もあえて含めたというから、その慧眼・度量の広さに感服するばかりだ。
当時、米英オランダなどに蹂躙されている清朝の現状を知っているだけに、このままでは日本国が滅びると思ったからだろう。行くほうも送るほうも命がけだった。
 留学生と言っても、当時はまだ鎖国だったため、実際は「密航」である。皆、偽名を使って甑島へ行けという虚偽の辞令書を受け取って2ケ月の航海をへて英国へ渡った。藩は、一人につき、いまのお金に換算して3000万円にもなったというから、藩ひいては日本の将来を託すほどの思いだったに違いない。留学生たちの義務感、重圧感は想像もできない。
 しかし、それにめげず、彼らは死に物狂いで勉強し、西洋の技術やマナーを学んでいった。一刻も早く西洋と対等にならねば列強の餌食になると思ったであろう。


日本のこんな時代の時に、当時の英国は写真のようで、残念ながら写真を撮り忘れたがもう既に汽車が走っていたというから、さぞや驚いたろう。 


帰国後、大阪市立大学創始者の一人で大阪経済を立て直して大阪商工会議所初代会頭を勤めた五代友厚畠山義成東京大学初代校長)、町田久成東京国立博物館初代館長)、森有礼(初代文部大臣)など錚々たる人物を排出した。また、日本初の近代的紡績業の創始者になって近代日本へ引っ張った。また、英国からアメリカに渡りカリフォルニアでワイン王となった人もいる。
 この薩摩留学生の物語が記念館で上映されているが、昔の日本人はお国のためにこんなに頑張ったのかと思うと熱いものがこみあげてきた。



P.S.
当時の清国は、生糸や陶器を輸出して大変な貿易黒字だった。英国はこの赤字を消すのにアヘンを輸出したので、清国が拒否したことからアヘン戦争が起こった。米英を始め当時の列強はロクなことをしていない。後の太平洋戦争で、結果としてでも今の共産政権が生まれたり、傲慢極まる列強の姿勢を矯正させたのだから、殆ど全部ダメとしてもこの辺だけは評価してもらいたいものだ。
もう一つP.S.
川口マーン恵美著「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝」という本はなかなか面白かった。その中で、この留学生のことを感動的に語られています。是非お読みになってみてください。