薩摩藩のニセ(若者)、決死の英国留学

実は、川口マーン恵美著「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝」という名著がある。大変面白く読ませてもらったが、その127〜128ページにこんな件がある。

 

薩英戦争を戦ってみて初めてイギリスとの技術力の差を思い知った薩摩は、尊王譲夷はさておいて、1865年、優秀な若者を密かにイギリスに留学させることを決心する。藩の優秀な青年15名が選ばれた(その他に使節団4名)。最年少はわずか13歳だ。若い者ばかりを送るというのも斬新だし、教育がなにより大切だと割り切り、古いしきたりに拘らず、それまでの敵に教えを乞うところも斬新だ。                                 グラヴァー商会の協力でイギリスに渡ったが、当時は、外国行きがばれれば死罪であるから、行くほうも送るほうも命がけだった。 もちろん、皆、偽名を使った。藩は、l人の留学生に対して、いまのお金に換算して2700万円をかけたというから、期待の高さが想像できる。留学生の義務感、および重圧感も、凄まじかったことだろう。 しかし、それにめげず、優秀な彼らは死に物狂いで勉強し、2カ月かかってロンドンに到着するころには、英語はもちろん、西洋のマナーまでマスターしていたという。 彼らがロンドンまでの旅程で学んだのは、それだけではなかった。寄港地の中国やインドで、現地人が西洋人に蔑まれ、こき使われている様子を目の当たりにした彼らは、一生懸命勉強し、多くの知識を日本へ持ち帰り、教育を充実させて、一日も早く西洋と対等にならねばいけないと心に誓ったのである。
 帰国後、その誓いの多くは現実となり、この薩摩出身のイギリス帰りの留学生が、東京開成学校(現・東京大学)の初代校長(畠山義成)、上野の国立博物館(現・東京国立博物)の初代館長(町田久成)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)の創始者の一人(五代友厚)、初代文部大臣(森有礼)などで、教育に深く貢献した。 また、日本初の近代的紡績業の創始者など、事業家になった者もいる。彼らが、新しい日本作りに果たした役割は大きい。
 この薩摩留学生の物語が、鹿児島市の維新ふるさと館で、「薩摩スチューデント、西へ」という20分ほどの映画になっている。原作は、林望氏による同名の小説だ。映画は簡単な作りなのだが、昔の日本人はお国のためにこんなに頑張ったのかと思うと、感動で涙が出た。

 是非、鹿児島に来られましたらお寄りになってみてください。