大震災の義捐と日本の復興(その2)

この度の東日本大震災とそれに続く原発事故。特に、東京の浄水場から放射性ヨウ素が検出された23日以降は、注文が殺到し、工場の稼動時間を延長した程度で追いつくはずもなく、インターネットや電話での受注もその日のうちに打ち切らざるを得ず、お客様には多大なご迷惑をお掛けしておりこの場をお借りしてお詫びを申し上げます。

一方被災地に向けて、行政や商工会などからの支援要請にも、熱心で強力な要請もあり、こちらも対応しなければならない。もともと、7年前、ここ鹿児島垂水に東京から本社を移したときから感じてきたことだが、このような災害に対して、垂水は非常に敏感で協力的だ。日ごろ自然に接する機会が多く、大自然の脅威というものを、肌身に感じているせいかも知れない。そのうえ、とにかく地場の催事が多く、「企業は、国への協力のかたわら地方にも奉仕すべきものである」と考えているので、できる限りのことはしてきた。会社が大きくなったというせいもあろうが、東京時代の何倍にもなっている。今では、少しでも世の中のお役に立てるということが自分にとっての糧にもなっている。

昨日、大変お世話になった東京のある企業から、「被災者の皆様に生活必需品をトラックを仕立てて出発する。何とかならないか」との要請である。実は弊社は必需品の水メーカーであるため、ほかにもいくつか協賛依頼があったので、「長年のお客様に何ヶ月も商品を待っていただいたりしている状況の中で行政からの要請に絞るべきではないか」という意見もあったが、無償で配布するという高尚な趣旨に敬服もしたし、かつ私が個人的にではあるが特別お世話になったということも併せて、私独断で協力させていただくことにした。


3月23日の新聞によると、共同通信社世論調査で、復興支援のための増税について、「賛成」が20.1%、「どちらかといえば賛成」が47.4%で、容認派が67.5%であったという。増税とか電気料値上げというのは、有無を言わさず問答無用で取られるのである。国民にとっては相当つらいはずである。
実は、私は先のブログで、「災害復興は法令で定めよ」と主張したが、これは、相当の痛みを国民に押し付けるだけに、過激すぎるという危惧を持っていた。それが、この度の調査結果である。嬉しいこと限りない。しかし、今度の何千年に1回というような大災害に際しては、企業や個人が行う個別の支援には限界があり、「血の出るような」協力でなければ、立ち直れないのではないかと思っている。


原発事故で被災した人には十分な補償をする義務がある。1世帯5000万円として10万世帯なら5兆円だ。農作物の被害にも当然補償しなければならない。幸い、日本国民の金融資産は1400兆円、対外純資産残高は266兆円と世界一の金持ち国である。国民に犠牲を強いることにはなるが、復興資金は十分にある。その上、完全失業者は330万人もあり、考えようで、その分余力ともいえる。これらの方々に大車輪で活躍していただき、次の世代のために、絶対にこの国難を乗り切らなければならない。また、そうでなければ日本復興はないと思っている。    

福島原発より100kmも震源地に近い女川原発はほとんど被害が無く、付近の被災者数百名が、その原発の施設に避難しているという。本来、原発とはこうしたものでありたいものだ。未曾有の災害に抗する本当の原発を作る技術が既に日本にあったのだ。日本の金融資産と失業者の完全雇用と世界に誇る日本の技術を世界に売り込むことによって、日本の復興を遂げなければならない。これこそ、20年にも及ぶ、暗くてつらいデフレからの脱却になる。