政治家の失言が日本ほど問題となる国が他にあるのだろうか

別に民主党の方を持つわけではないが、仙谷長官は「暴力装置でもある自衛隊には文民統制が必要」というのも、「暴力装置でもある自衛隊には文民統制は(利かないから)不必要」とでも言うなら、これは確かに問題である。しかし必要といっているのだから、問責にまでなって国会審議までストップになる程の問題だというのだろうか。消費税や財政赤字、デフレ、失業、お役人の天下り・ムダ使いより大問題だというのだろうか。   
 柳田法相のことにしても、懇意にしている支援者の前で「個別の事案については答えを差し控える』と『法と証拠に基づいて適切にやっている』の二つを覚えておけば十分」と言ったということでも、ウイットといえばウイットといえなくもない。しかし、法相が、精一杯のウイットを飛ばしたのに、少しも聴衆には受けなかったようで、余り笑い声が聞こえてこなかった。確かに増長していたり国会をなめていたという面もあるかもしれないが、余りにこういうことに目くじらを立てていたら、政治家は建前ばかりしか言わなくなり、大臣は官僚の作った無味乾燥な文章を棒読みするだけになる。これでは日本国中、ウイットのないちょっとも面白くないものばかりとなり、誰も政治家の話など聞かなくなってしまう。こういうことの方が余程恐ろしいと私は思う。

 しかしこの種の低次元の話は、このだびの野党ばかりではなく、過去には、吉田茂首相の「バカヤロー」から、藤尾正行文相の「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」、永野茂門法相の「南京大虐殺はでっち上げだ」、また最近では、森喜朗首相の「日本の国は天皇を中心とした神の国」、中山成彬国交相の「日教組は日本の教育のガン」などなど枚挙に暇がないほど、当時の野党はヒステリックに騒ぎだてた。一体その結果何が残ったのだろうか。その大騒ぎがきっかけとなって、何か一つでも世の中がよくなったのだろうか。このような不毛の論議を交わしてゆくうちに、日本丸はドンドン沈んでゆくのである。
 
 彼等は単に自らの心情を吐露し、歴史認識を語っているともいえ、ある面、真理と言えなくもない。一体、テレビや新聞は何のためにあると自覚しているのだろうか。向こう受けするようなことばかり連日取り上げては大騒ぎしている。


 本来、政治家は、「何を言ったか」ではなくて、「何をしたか(あの政策は正しかったのか)」で、国会というところは、そういう議論を丁々発止とやりあう所ではないのか。肝心の国会議員が政局や選挙や失言追及にうつつを抜かしているから、中国や北朝鮮やロシアがバカにして我が国にちょっかいを出してきている。国会議員が何百人もいるのに何の手も打てないというところが、嘆かわしいのである。人数が多すぎて何にもできないなら、100人くらいにすればよい。(これは失礼!余りに暴言だ。これこそ問責かも)