デューク・エリントンの人間的な大きさ

2000年にBBCが作成したアメリカジャズ史チャンネル銀河が毎週放送しており、先週はその9回目だった。
ベニーグッドマンやグレンミラーと並んで一世を風靡したビッグバンド、デュークエリントン楽団のからみが面白かった。

デュークの引き連れる18名のジャズメンは、一人ひとりがソロで自分の物語を奏でることのできる名プレイヤー達だった。一旦ステージを離れると、決まった時間に集まらないのは当たり前、大酒のみ、喧嘩っ早い、仲間の物をくすねる、刑務所の厄介になる者、ドラッグに手を出す者、仲間同士何年間も口をきかない者、中にはデュークにさえ話をしない者など一癖もふた癖もあるものばかりだったが、デュークは、気にもせず演奏の腕さえあれば他にどんな欠点があろうとも構わなかった。たとえば、酒を飲んだら手のつけようもない暴れ者のベン・ウェブスターには、1940年代初期の名曲、「コットンテイル」をあてがって、デュークがピアノを弾きながら、次は「ウェブスター!」と紹介するシーンは、何とも魅力的だった。デュークは仲間達に理解力包容力がとてもあり、彼はいつもみんなに耳を傾け、一人ひとりの豊かな個性を引き出した。

デュークにとって生涯の音楽のみならず人生のパートナーだったのはビりー・ストレイホーン。彼は名ピアニストであり、卓越した作曲家であり、有名な「A列車で行こう」は、彼の手になる。デュークとビリーは30年にもわたり互いに協力しあい数々の名曲を作った。才能あるもの、天才は、えてして角が取れず孤高を保つものだが、30年もの長きにわたり友好を深めたというのは銘記すべきだ。二人は全く違うタイプの人間で、ビリーは温かく社交的でゲイ。デュークは内気で謎めいていて女好きで女といえば片っ端から手を出した。しかし二人はエリントン楽団をすばらしい音楽を作って偉大なものにしようという目的は一緒だった。

デュークの孫娘は証言する。「祖父が誰よりも尊敬していたのは二人いた。一人は祖父の母親で、もう一人はビリー・ストレイホーン。最高の音楽的パートナーを見つけたという喜びだったと思う。その喜びによって、二人は互いの才能の最も良い部分で引き合った音楽的結婚のようであった。ストレイホーンに会うまでは、祖父は音楽的な面で孤独で、自分と同じレベルで考えを共有できる人間がいなかった。もしモーツアルトに音楽的パートナーがいたらどうなったか、想像してみてください。それは彼の音楽の新しい出発点になったでしょう。何もいわなくとも、自分と同じアイデアを生み出せる相手がいる。フィーリングだけで意思の疎通をはかることができる。それは本当に大きな喜びなのです」と。すばらしいコメントだ。この孫娘もきっとひとかどの人物なのだろう。

デュークはあるテレビでビリーとの関係を聞かれて、「17小節まで書いて行き詰まったら彼に電話した方が早い。“キーはEフラットでこんな雰囲気”と。彼は言う“意図は判りました。僕ならもっとうまくできますよ”」と。デュークの人間的な大きさとビリーの卓越した才能をこの一言で彷彿とさせる。