男にとって「家庭はアウェー」?

3月25日(日)TBSの「報道2001」を見た。団塊世代が大量に退職する時期を迎え、その上2007年4月より年金分割制度が開始されるので、熟年離婚が激増する可能性があるという。



在職中は、男は亭主関白で、家事など一切しないし、企業戦士だとばかり自ら存在感を感じて、定年後のことまでは考えていない。一方、奥さんの方はその時を予期して自分の口座を開設しコツコツへそくりを貯めこんでいる。
日本人の70%が仕事をしたい(フランス人18%)と思っているにもかかわらず退職するというハメになってしまい、虚脱感と自分の居る場所がないと感じるようになる。自分はジッと家にばかりいて、第二の人生は退屈で、妻が外出するときは、「どこへ行くんだ」「何時に帰る」、その上「オレの昼飯はどうなっている?」とうっとうしくてかなわない。奥さんは血圧が上がって、胃潰瘍、高血圧、うつ病自律神経失調症、果ては脳梗塞。濡れ落ち葉、粗大ゴミ扱いされた上に、金の切れ目が縁の切れ目とばかり熟年離婚だと、男は会社でリストラ家庭でリストラ、たまったものじゃない、というような大変薄ら寒いお話だった。

何かいい対処方法を示してくれるのではないかと見ていたが、「男には外で働いて女、子どもを食わせるというDNAが連綿と受け継がれている。男にとって家庭はアウェー、亡くなる間際まで外に出て仕事をしているのが一番いい」というような結論だった。




 考えてみれば、そんないい案があるはずもなく、解決策といえばこんなものしかないのかも知れない。

 「男にとって家庭はアウェー」とはよく言ったもので、そういえばそうかも知れない。がしかし、だからといって、大切ではないなどということは全くない。サッカー同様、アウェーもホームも同じく大事なもの、向き合うスタンスが違うだけなのだ。人類発祥以来、男は、好むと好まざるとにかかわらず、毎日雨の日も風の日も狩に出かけなければならなかった。敵や獣に遭遇し熾烈な戦いもしなければならなかった。それでも、うちだけ獲物がなかった、などということになればもう大変である。想像するだけでも身の毛がよだつ、男はそんな思いで、身の危険も顧みず、戦いへ出かけて行ったのである。外こそが命の糧をうるところであり、だからこそ全知全能をかけて戦わねばならなかった。一旦家に帰ったときは腑抜けのようになるのは当たり前で、男にとって家庭はアウェーというのは、やむを得ざるところなのである。このへんのところは、退職して腕をぶしている旦那を理解してあげなければ、それこそ、身の置き場がなくなる。働いていたときは輝いて見えたと、それまで言いたい放題の女性出演者がかわいいことを言っていた。
外で死闘を繰り返してきた男が、それまで女一人で守ってきた家庭に帰ってきたのである。多少のいざこざはあって当然。互いに一定の距離をおきつつ協力しあうというところで折りあえばいいのだが・・・・。