立派な人が一か所に集中するのはなぜだろうか

 オリンピックを楽しませてもらったが、特に印象に残ったのは、日本選手のチームワークだ。
一番良い例はパシュートだ。1人ひとりの力量では劣るものの、3人のメダリストを揃えたオランダに完勝したのはお見事というほかない。その反面、韓国の一人置いてけぼりにはびっくりした。日本では年に300日も選手同士が寝食をともにしたが、韓国の方は一緒にはほどんど練習もしていないという。どこの国でもメダルを取りたいというのは一緒のはずだが、これだけの違いがあるのはどういうことからだろうか。韓国に限らず世界中がよく言えば個人主義で、日本だけが例外なのかもしれない。そんな日本が、グローバル化の時代に、どのように付き合っていけばいいのかと思わせられるシーンだった。
 チームプレーといえば、女子カーリングが印象的だった。明るくて仲が良くて、時に泣いたり、時に笑ったりとプレーを楽しんでいた。仕事でもあんな風にならなければ本当の仕事はできないのではないだろうか。
 それにしても、LS北見のメンバー5人の全部が全部北海道北見市の出身で、そのうち4人は常呂町だと聞いて、またまたビックリ!!
 明治維新の偉人たちが、鹿児島の出身で、それも極々狭い加治屋町に集中しているのを思い出した。

 人が或る思いにとりつかれてその気になれば、誰でも相当なことができるということかもしれない。

 ただその一方、「あきらめるな。必ず達成される」ということもよく聞くが、私はこれまでずっと、「あきらめが肝心。一人の成功者の陰でどれだけの人が挫折したか」と思ってきた。
人生、複雑で一概には言えないが、どちらがいいのかわからない。