環境が人を作る

あけましておめでとうございます。

2015年大河ドラマ「花燃ゆ」が終了した。ヒロインは吉田松陰の妹の文(ふみ)。ドラマそのものは視聴率が低かったようですが、私は多々感じるところがありました。
吉田松陰が叔父から松下村塾を引き継いだころ、わずか17歳の文が塾生の募集活動をしたというレベルだったようで、たかが知れている。外見は一見どこにでもあるような普通の塾であったろう。武士や町民など身分や年齢の隔てなく塾生を受け入れ(これを松陰は草莽(そうもう)くっきと言った)、最盛期は50人ほどの塾生に学問を教えた。自由な雰囲気と闊達な意見交換の環境が、久坂玄瑞高杉晋作伊藤博文など幕末から明治維新への原動力となる熱き志を持った優れた人材を輩出した。

 















外見だけで評価する訳ではないが、こんな小屋程度の粗末なところから、続々と立派な人が巣立っていった。
同じような例がここ鹿児島にもある。それは薩摩の加治屋町である。
昨年暮れ、東京・大阪の営業の人たちが来鹿した折、「維新ふるさと館」を案内した。その時話題になったのが、「どうしてこんな狭い地域から、あんな偉い人たちがしかも大勢出たのだろう」ということだった。
 「鹿児島 加治屋町」のウィキペディアにはこうある。

江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した維新の三傑と称されている西郷隆盛大久保利通日露戦争において日本を勝利に導き、「陸の大山、海の東郷」と称された東郷平八郎大山巌、第16・22代内閣総理大臣である山本権兵衛などの出身地としても知られている。
明治維新から日露戦争までの期間に活躍した薩摩藩関係者の多くを加治屋町出身者が占めていることから、歴史小説家の司馬遼太郎は「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と評している。



資質・教養など特に傑出している人物が、このごく小さな加治屋町だけに集結しているとは、確率論的には考えにくい。考えられるとすれば、加治屋町松下村塾という特異な雰囲気・環境が、その地域に育(はぐく)まれた若者を「やる気」にさせたとしか考えられないのだ。
環境が人を作る→その人が「やる気」になる→そうなれば、本人の資質や教養は二の次で、相当なことができる・・・・ということではないだろうか。