TV「天皇の料理番」を観て

先週TVの「天皇の料理番」が終わった。結構面白かったので、杉森久英著の原書?の方を図書館から借りて読んだ。


 

大正11年4月、英皇太子が日本を訪問した。当時二十八歳、長身の、洗練された貴公子であった。日本の皇太子より七歳の年長である。この人はのちに英国皇帝の位についたが、アメリカ国籍の人妻シンプソン夫人と結婚するため、帝位を捨て、世界のジャーナリズムに「世紀の恋」と騒がれた。
  大英帝国の皇太子が来られるというので、日本は上下をあげて興奮状態におちいった。明治以来、日本にとって英国は兄貴分である。日本は英国にいろんなことを教わって成長し、今や東洋の英国といわれるようになった。その国のプリンスが来られるというのに、失礼があってはならない。前年、こちらの皇太子が訪問された時以上のおもてなしをしなければならない。それは先方の厚意に対する心からの感謝のしるLでもあるが、また国家の体面、あるいは誇りのためでもある。
 迎賓館ならびに一行の毎日の食事を担当するのは、大膳寮の仕事である。秋沢篤蔵は燦然と輝く豪華な饗宴に負けないものを演出しなければならないと思うと、篤蔵は責任の重さに、胸が締めつけられるような気がした。
 予定では、当日の出席者は主客合わせて百二十名、一人当り三十円の費用が計上された。物価の安かった当時、三十円は前例のない額であると共に、その後もこれほど善美を尽した盛宴はなかった。終戦後の縮小された皇室予算では、およそ考えられないことである。
(中略)
敏子はキリリと眉をあげ、口は耳までさけて、篤蔵をにらみつけると、そのまま奥の寝所へ入って、布団にもぐり込むと、不貞寝をきめこんで出て来ない。篤蔵のほうで後悔して、そばへゆき「おい、わしが悪かった。そろそろ機嫌を直してくれよ」。いろいろやってみても、川柳ではないが、足を縄になって、肩を邪怪にゆするきりである。その縄をほぐすのに、二、三日かかるのが常であった。その敏子が、なんとなく身体の不調を訴える日が多くなった。
英国皇太子来訪の翌年、関東地方に大震災があって、赤坂の篤蔵の家は丸焼けとなり、一家は赤坂にある郷里の大先輩、桐塚尚吾の邸へ避難して、いろいろと厄介になったが、その時の苦労が、健康にさわったのかも知れない。家が丸焼けになっても、篤蔵は勤めを休むわけにはゆかない。ほかの事とちがって、天子様の御日常に奉仕する任務がある。家族に事故があったり、家財を失ったりした部下もすくなくなく、どうしても出勤者の数がそろわないだけに、篤蔵は持ち場を離れるわけにゆかない。その間敏子は、両親と、八歳になる女の子と、六歳になる男の子をかかえて、何もかも、ひとりでやってゆかねばならなかった。一番たよりになる一家の主人はこういう時こそ、自分のことを捨てておいて、お上にお仕えしなければならんのだ」といって、家に寄りつこうとしない。人一倍忠誠心に厚く、仕事の鬼といわれる良人のことだから、無理もないと思いながら、妻の身としては、やはり捨て置かれたような気がして、恨めしくなるのを、どうすることもできない。
(中略 奥さんが亡くなって)
  「秋沢先生、元気ないですなあ。まだ奥さんのことが忘れられないのですか?」
  「うん・・・」
  「なくなった方のことをいつまでも思ってさしあけるのは、うつくしい心ばえだといっていいかも知れませんが、あまりジメジメしているのも、かえって功徳にならないんじゃないですか?」

 秋沢篤蔵の泣き上戸は、飲み仲間のあいだで知らぬ者もなかった。はじめのうち、彼は愉快に飲んでいるが、盃をかさねるうちに、哥沢(うたざわ、端唄の一種)を聞かせようと言い出す。自分で言い出すこともあるが、相手の方から御機嫌を取るつもりで、ぜひ拝聴したいと言うこともある。
 歌っているうちに、彼は亡妻を思い出して、だんだん悲しくなってくる。シクシク泣き出すと「またか……」とばかり、うんざりする者もあれば、笑いを噛み殺している者もある。


この辺のところに、男の仕事に賭ける気持ちと家庭奉仕との葛藤、奥さんの苦しみがよく出ている。
秋沢は、料理人として日本のトップに立った。日本料理界の第一人者となった。その苦労は並大抵のことではない。しかし奥さんからみれば家庭のことを顧みない無情な男に見える。お隣のように平平凡凡ではあるけれども平穏な日々を暮らしたいと思うのである。森村誠一の言を前に紹介したことがある。「心の平安は何と言っても、庶民の中にある」と。ところが一人(いちにん。最も偉い人、No1)である秋沢は普通の人のような暇もないし余裕もない。

ところが、奥さんが亡くなってみれば、あれほど傍若無人で横柄・自尊心の塊り ・ 傲倨 ・ 驕傲 ・ 不遜 ・傲慢 ・ 尊大を絵にかいたような男が、「彼は亡妻を思い出して、だんだん悲しくなってくる。シクシク泣き出」したという。他に女を作った訳でもないし、ちゃんと金を家庭に入れていたうえに、彼の心底はこんなところだったのに、奥さんは不満をいだきつつ早逝した。もっと人生を楽しめばよかったのに・・・。両方を得ることは不可能だ。私はそんな一人(いちにん)の奥さんならば奥さんなりきに、旦那を抜きにして平凡な平安を享受すべきではなかったかなと思った。