この3連休に山口県萩市の松蔭神社をお参りした。

13才の時藩主に進講する
吉田松蔭のお人柄は非常に優しい親切な人だったらしいが、私が称賛するのは、そんな心根の人が、鎖国令を破って日本脱出を何度か試みたり、幕府の老中を殺そうとしたことです。全ては、日本の為にと死を覚悟してやったことです。

ついに囚われの身となって幽囚室に閉じ込められた松蔭のもとをある青年が訪れてきました。
山口県教育会発行「松蔭読本」より
    

 ある日、近所の吉田栄太郎がやってきました。栄太郎は、「先生、ぼくに学問を教えて下さい。」
 松陰は、「ああ、よくきたな。では、これからいっしょに本を読もうか。どんな本がよいかな、これはどうだ。」 といって一冊の本を渡しました。
 栄太郎は読み終わるなり、「ぼくは、こんなことを学びにきたのではありません。」松陰は驚いて、思わず栄太郎の顔をじっと見つめました。
 「では、この本はどうだろう。」といって、「孟子」の一節をみせました。
栄太郎は、まちがいのあった君主をみすててよそへ行き、高い位についた人の話を読んで、「命がけで君主を諌めなかった人が、どうして聖賢になれるのですか。」 と聞きました。
 松陰は非常によろこびました。栄太郎こそ、なんのために学ぶかということを明確につかんでいる少年であり、自分が求めていた弟子だとおもいました。
 松陰は、「たとえ、このまま幽囚の身でおわっても自分の志をつぐ者を養成しておけば、いつかは自分の志は達成される」と考えていました。いま、その志を達成してくれる弟子をえたのです。松陰のよろこびと期待はどんなに大きかったことでしょう。松陰は人間のための学問、日本のための学問について強い期待をもったのです。


 こうして松陰の指導による松下村塾がはじまり、教えを受けに来た久坂玄瑞高杉晋作伊藤博文などが門下生となって学んだそうです。今の日本に、松蔭のような立派な政治家はでないのでしょうか。国が極く貧しかったり、外国からの侵略の危機下にあるような時には、このような偉人が出るのでしょうが、今の日本には無理なことかも知れませんネ。