金より輝く銅メダルがある

 昨夜の男子400mリレーには感動した。「金より輝く銅メダルがある」と。トラックでは80年前の800m銀の人見絹枝さん以来だという。人見さんといえば、昔よくおふくろが人見さんのことを話題にし、尊称して「ヒトミケンシ」と呼んでいたことを思い出した。「80年前のこととして・・・私が10才の頃聞いたとすると・・・」と計算してみた。何と!!おふくろは20年も前のことを、何度も何度も口にしていたのだ。当時の日本はなかなかメダルも取れずに、余程印象的な出来事だったに違いない。金がいくつ、銀がいくつと大騒ぎだが、「果たしてたくさん取っている国民の方が幸福なのだろうか?」。金1ヶの国はきっと昔のおふくろの様に100倍も喜んでいるのだろう。

 そもそも私はいつも思う。「100回外国旅行した人と1回きりの人とどちらが幸福か」と。答えは「同じ」のような気がする。よしんば、一度も外国に行ったこともない人でも、久しぶりに古里へ帰った時とか、恩ある人を訪問した時とか、その人にとっては何ものにも代えがたい感動の旅があるはずだ。
 思えば、これもおやじの話で恐縮だが・・・。おやじは無論外国など行ったこともない。多分一番遠い旅行は、愛知県の豊川稲荷のお参りだったのではないか。地図で確かめたら、250kも離れているので、当時は大変な旅だったかも知れないが、何しろ来る人来る人に、出発から到着までの一部始終をこと細かく話していた。他の人には大したことではないかもしれないが、おやじにとってはどんなに嬉しいことだったか。そんなおやじに思い至らない私は、何百回も同じことを聞いて本当に辟易(へきえき)だった。
 「何々が一番いい」ということはなくて、色々の価値観があるからこそ、人生は生きる価値があるのかもしれない

 肝心の、何に感動したのか、書くのを忘れていた。それは4選手の「コメント」だ。短距離選手としてはとっくに引退している年齢、それでも夢を忘れず日々の鍛錬、体力へのぎりぎりの挑戦、破裂しそうな責任感、短距離界の先輩への感謝、一緒に走った仲間達への思いやり、、等々挙げればきりがないが、スタンドでソッと涙をぬぐう四百m障害の為末選手の姿も印象的だった。

 外国はたとえ一人一人の走力が勝っていてもバトンタッチが苦手なのだ。その点、日本は自分を捨てても相手を生かすという精神風土が残っている。宿敵米を下した女子ソフトといい、日本のチームプレーはまだまだ世界一だ。