五木の子守唄に惹かれて

 私の畏友に熊本五木村の出身の方がいる。有名な五木の子守唄の村である。山高く谷深し。朝10時ころようやく日が昇り2時には没するという。
 彼は、50年ほど前、日本全体が貧しかったころ、五木はもっと貧しかった。村には高校がなかったので進学するにも下宿するしか方法がない。寒村にそんな余裕はないからほとんどの人は中学を出るとすぐに、就職列車で大阪や東京に向かったという。大変なご苦労をされたと思うが、ご自分では「ちっとも苦労とは思わなかった」という。今では千数百名の大会社のNo2として大活躍されている。
 

おどま盆ぎり盆ぎり盆から先きゃおらんと盆が早よくりゃ早よもどる

そんな厳しい故郷ではあったが、心の底から望郷の念にかられたのだろう。歌は「私のご奉公はお盆までです。もしお盆が早く来てくれるならすぐにでも飛んで帰りたい」というような意味であろうか。


五木の子守唄 - Wikipediaによれば

日本の民謡や童歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の子守唄(子供を寝かしつけるための歌」と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあるといわれており、五木の子守唄は、守り子唄のひとつである。

守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌である。かつて子守の少女たちは、家が貧しいために、「口減らし」のために、預けられることが多く、境遇は下女や奴隷とほとんど代わらなかったという。

歌詞にある「おどま勧進勧進」は、「私はこじき」という意味である。


私もこの土日を利用して五木村に行ってきた。なるほど山また山のそのまた向こう、近くに平家の落ち武者が移り住んだという五家荘があるなど、日本の秘境である。
実は、先々週、高校時代の先輩後輩と秋葉街道を歩いて来た。長野県と静岡県の県境青崩峠(あおくずれ)にいってきた。宗良親王が父後醍醐天皇の倒幕に参画したが、諸勢利なく、ここもまた、隠れ住んだところとして「信濃宮」となって残っている。なるほど!どちらも身を隠すにふさわしい秘境の里である。