ベンチャービジネスを始める人の教科書だ

虚構 堀江と私とライブドア

虚構 堀江と私とライブドア

ライブドアのNo2であった宮内亮治が一連の事件について赤裸々に語っている。1996年堀江が23歳、宮内が28歳のとき二人は初めて会った。このとき宮内は堀江の小汚い風采のあがらない格好を見て「まさかコイツじゃないよな」と思ったという。やがて、二人が組んで事業が拡大してゆくのだが、1999年夏
 

「上場してみない?」
 こう堀江を誘ったのは、私である。
 この時、堀江の反応は芳しくなかった。マザーズやナスダックは、まだ創設されておらずピンとこなかったのだろう。IT業界の仲間に吹き込まれたのか、「上場の件なんですけど」と堀江から言ってきた。
 だが、この堀江の決断がライブドアを揺るがすことになる。創業メンバーでかつては堀江の恋人でもあったAさんを中心に、10名近くが「小さな規模で無理なく働きたい」と、会社を去ったのだ。
 この小さな内紛は堀江を変えた。もともと物事にこだわらない人間だったが、一層ドライな人間関係を好むようになった。役に立てばつきあうし、立たなければアッサリと切る。ビジネスに感情は持ち込まず、判断基準を数字に絞る。堀江の経営者としての原点は、ここにあると思う。

と語っている。「小さな規模で無理なく働きたい」という考えは極めて常識的で昔のことはとやかく言えないが少なくとも今の私などはこちらに組する。しかしこの二人と仲間達は、日本一いや世界一を目指して拡大に次ぐ拡大を続ける。そこには当然「ムリ」を推し進めて行った。そして大きな転機となったのは、2004年の近鉄球団の買収騒動である。

 

その顛末は周知のように、楽天の勝利、ライブドアの敗北だが、宣伝効果を考えれば、堀江はむしろ勝利した。ライブドアの認知度は急上昇、ポータルサイトへの集客力を高め、サイト上であらゆるビジネスを展開、利益率を上げていくというビジネスモデルが実現可能になった。この時の達成感が、もともと前向きな堀江をさらに駆り」空し、前につんのめりながら走り続け、市場にサプライズを連続発信する経営者に変えた。
 マスコミから浴びたフラッシュは、刺激を好む人にとっては忘れることのできない快感を生むらしい。そうであった堀江は、ニッポン放送、フジテレビ、さらにはソ二―買収まで目論み、時価総額世界一の夢を実現に向かいつつライブドアの認知度を上げ、さらにはマスコミにチヤホヤされるという一石三鳥の効果に酔った。
 今考えればその暴走は、利益の出ないライブドアの実像をさらすことで食い止めることができただろう。「事業の核」と言うべきポータルサイト事業、コマース事業は赤字だったのである。実像に近い株価の形成で、堀江も私も目が覚めただろう。
 だが、「ホリエモン」 というブランドを商品にしてしまった堀江は、急成長企業のオーナーのイメージを壊すことはできなかったし、私もまた最初の出会いで堀江が宣言した「ナンバー1の夢を、堀江と同じように見ようとした。その無理が犯罪を誘引、背伸びする体質を堀江とともに築いてしまった。


と、後になってではあるが、反省するほど前のめりに突き進んで行くことになった。そしてついには、ニッポン放送の買収劇、総選挙の立候補と、日常の業務がおろそかになるにつれて、それを宮内が穴埋めするようになった。

それまではナンバー2という自覚はなく、側近のの一人として堀江をどうやって支えればいいかを考えていたわけで、会社勤めの経験がない私は、組織とは何か、企業統治とは何かを考えるのに苦労した。
 先輩経営者に話を聞きに行き、それなりに参考にはなるが身につかない。そこで私が心がけたのは 「歴史書」を読むことだった。
 日本の経済史、昭和恐慌の時の話、幕末から明治にかけての偉人の伝記、三国志史記といった中国の古典・・・そのなかに、組織のあり方、人の動かし方、リーダーの要件は書いてある。
 私はそれを実践したつもりだ。自分のなかに 「リーダーはどうあるべきか」という像をつくるのは、実はそれほど難しくはない。たいへんなのは、妥協や、嫉妬や恨みという感情で部下を判断しないこと、好き嫌いをビジネスの場に持ち込まないことである。
 堀江にもそういうところがあった。彼がどんなところでリーダー論を学んだかはわからないが、彼の凄いのは感情に流されないところだった。人を判断するのに「できるか」「できないか」だけを基準にして、信賞必罰を貫いた。邪な愛情や嫉妬などとは無縁の男である。凄いなと思ったし、やりやすかった。


将にベンチャービジネスを活写している。これから、新しい事業を立上げようとする人たちは是非読んで欲しいと思う。色々な「ムリ」が必ず出現する。それを怖れていては何も出来ないし臆病者だ。身震いするほどのリスクを取らなければならない時もある。それが青春というものだ。彼らはこうした苦難に敢然と立ち向かい乗り越えてきた。私はそのことは心から賞賛したい。しかしそれが勢い余ってついには、決算の粉飾とか利益の付け替えなどという法を犯してはならない。大変残念に思っている。青年らしい暴走はついには起訴にまで至るのだが、宮内自身も言っているように、村上ファンド村上世彰よりもずっと人間的でかわいらしい。