親に感謝して初めて一人前になる

 昨夜、亀田興毅選手がライトフライ級チャンピオンになった。第一戦目が余り芳しくなかったから、その後袋叩きのようなバッシングにあい、それに立ち向かってくれた父への感謝の念を言及した時、感極まって涙で声が上ずっていた。今時の若者もそうだが、我々年配のものも、感謝の念で嬉し涙を流す、というような真摯な生き方をしている人が一体何人いるだろうかと思った。イギリスのフーリガンとまで行かなくとも、我が日本でも、勝てばもう文句なしに誉めちぎり、負ければクソミソ。彼の言うように「ボクシングは真剣勝負」だから、茶の間で寝そべりながら見ている我々にとって毎回面白い試合になるということはない。親への感謝を言う興毅選手をみて、「今後きっと伸びる」と思った。

 親への感謝ということでは、女子プロゴルファーの横峯さくら選手。1・2勝は簡単に勝ったと思ったら、その後長い低迷が続いていた。その間、父親に「もうキャディーはやめてもらう」などといって父親に反抗していた。父親ご自身はゴルフにはド素人、娘さんは20歳の今、身長150cmというのだから、決して恵まれた体とはいいがたい。それでも一流ゴルファーに育て上げたのだ。父親はどれだけの思いでさくらちゃんを育てたのかわからない。それが、最近、父親にありがとうというようになって、「一皮むけた」と思っていたら、先日メジャーでぶっちぎりの優勝だった。

 ピアニストのフジコ・へミング。彼女はヨーロッパで自分の思いを達せられず、1995年矢折れ刀つきて傷心のうちに70歳(?)近くになって帰国した。それが1999年NHKのドキュメンタリー番組で彼女のことが放映されてその後一大ブームが起こり、カーネギーホールでも演奏するなど、一躍脚光を浴びるようになったのは、ご承知のことでしょう。そのNHK番組では、ピアノを厳しく仕込んだ母親、どうしても世に出られず一時帰国した彼女への母親の厳しい言葉に対して、感謝というよりむしろ恨みの感情を抱いていると思ったのは私ばかりではなかったのではないか。その後彼女が有名になるにつれ、あちこちのテレビに取り上げられるようになったが、母親への恨みの言葉が消えていた。先輩に対して失礼だが、老境に入ってからでも遅くはなかった。親に感謝するようになって「きっと芸風に味が出た」のではないかと思っている。
 
 鮭は子供を産んですぐに死ぬ。小鳥の親子は、夫婦が協力して(力が弱いだけにケンカなどしている余裕がないのである)一生懸命育てるが、子供が巣立てばもうそれっきりである。それでも親は自分を犠牲にしてでも子供を育てる。親というものはそういうものである。その親に感謝するようになって子供ははじめて一人前になるのである。以前の日本にはそのような親と子がいっぱいいた。だから躍進した、といえばいい過ぎか。